<a href="/graduate/">卒業生インタビュー</a> 廉田牧子

卒業生インタビュー

思い切って飛び込めば、自ずと道は開けます

廉田牧子

映像翻訳者

2005年12月 アカデミア在学中に字幕課へ入社
2006年3月  映画翻訳専科卒
2009年12月 フリーへ転身
【主な字幕翻訳作品】
「しあわせの処方箋」「ユーリカ~地図にない街~」「LAW&ORDER」「LAW & ORDER UK」「ギャング・イン・LA」

今回登場いただく廉田牧子さんは、理系出身という映像翻訳者としては珍しい経歴をお持ちであり、そして現役の働く二児の母でいらっしゃいます。
在校生向けイベント『ようこそ先輩!2013』でも、身近な先輩としてお話をしていただきました。翻訳者として働きながら、結婚、出産を経てフリーへ転身されたことから、映像翻訳科の広告塔として取材もさせていただいています。満を持しての卒業生インタビュー登場です!


映像翻訳者を目指すことになったきっかけは?


幼少の頃からNHKで放送していた海外ドラマを見るのが好きで、小学生の頃は「フルハウス」、少し成長すると「ビバリーヒルズ高校白書」や「ダーマ&グレッグ」などを見ていました。
高校1、2年の時は、英語と化学が好きだったんですけど、3年になって「文系」と「理系」にクラスが分かれるときに「理系」を選んで、大学では、工業に結びつく化学(化粧品やシャンプーやリンスなど)、"工業化学"を専攻していました。大学院1年の就職活動のときも工業化学関連の企業のエントリーシートを書いていたんですけど、書いているときに「本当にこういうところに勤めたいの?」と思い始めて、大学院を辞めて...。大学院を辞めたときに、自分の中ではある程度「化学」はやりきった感じがして、これまでを振り返ってやってこなかったこと、やり残してきたことが「英語」だったんです。
英会話の先生をやりながら、小さい頃から見ていた海外ドラマと結びついて、「そういう仕事がないかな」と探し始めて、映像テクノアカデミアを知ったんです。



英会話の先生?そもそも英語は得意だったんですか?


実は小学5、6年生の時に、父の転勤でアメリカに住んでいました。
当時は私たち以外に日本人の家族なんて住んでいない、都会からちょっと離れた町だったので、登校初日から、もうひっきりなしに話しかけられて電話番号を聞かれました。帰宅すると家の電話が次々と鳴って、会話にもならず大変でした。
そんな中だったので、2年弱でしたが割と話せるようにはなっていたと思います。
今はそこまで話せませんけど。。。



なるほど。帰国子女でいらっしゃったのですね。では話を元に戻して、実際にアカデミアに入学してみていかがでしたか?


今まで理系だった私としては「文系社会に入っちゃった」というか、みんなが"心情"とか"気持ち"を読み取るとか言っているのを聞いて「ほぉ」という感じで(笑)。最初は「なんだそれ」みたいな、ギャップがありました。 授業を受けていても最後に正解を言われるわけじゃないので、「これが例です」と示されるだけで、それが正解か分からないですし、「へえ」って感じて1つの案として吸収する。
その考え方というか、勉強の仕方っていうか、そういうのさえ分からなかったので、カルチャーショックでした。でも、すぐお友達もできて、楽しくて休んだりしなかったです。



英会話の先生を続けながら通っていたのですか?


英会話の先生は辞めていました。
学校に入学するに当たって、仕事も映画とかテレビとかに関わる仕事を調べたら、映画などのキャスティングの会社が、今後海外作品にも手を広げるということで、募集要項に「英語が必要」と書いてあったので応募しました。入社してみたら、英語は全く使いませんでしたが...。



いつごろから本格的に翻訳者になろうと思ったのですか?


入学当時は、将来的には仕事にしたかったですけど、そこまで覚悟が決まって勉強しているというよりは、サークルというか、同じ物が好きっていうお友達同士で授業が終わってから映画の感想を語り合って楽しんでいたので、共通の趣味を持ったお友達がたくさんできたという印象でした。
3年目になって、自分を追い込むじゃないですけど、本腰を入れるためにキャスティング会社を辞めました。その数週間後に、タイミング良く東北新社の字幕課でアルバイトの募集があって、思い切って飛び込んでみようと...。



字幕課ではどういった仕事をしていましたか?


始めは、有名な翻訳者の方の劇場版で翻訳したものを、BS・CSチャンネルなどで放送できるようにスッポッティング※1を調整する仕事でした。その後、演出に移って、劇場ではOKだった字幕でも、放送ではNGといった制約に沿った形に整えたり、新規の翻訳をチェックしたりしていました。その間、契約社員になり、結婚をし、出産を機に退社しました。妊娠5~6か月で退社したので、その後に翻訳の仕事をいただいていました。



出産後、どれくらいで復帰しましたか?


現在、4歳と1歳の子どもがいるのですが、上の子の時は出産後3週間で、出産前から翻訳していた作品の各話のあらすじをまとめる仕事をしました。実家に、パソコンを持ってきていたので...(笑)。



産後すぐ復帰なんて大変だったんじゃないですか?

そうですね。ちょうどお仕事をコンスタントにいただいていた時期だったので、出産後1カ月ぐらいで、「どうですか、そろそろ」なんて連絡が来て...。ありがたいことですけど、さすがに1、2カ月の時は眠くてお断りしていて、それでもお声をかけてくださるので、だんだん申し訳なくなってきて...。フリーだと、会社員と違って復帰するタイミングを自分で決めないといけないので、満を持して3カ月ぐらいの時からシリーズものをスタートしました。
お昼寝している間は仕事の時間と決めて、抱っこしながらパソコンに向かって。最初は、(母乳だけで)ご飯もいらないので何とかなっていたというか、何とかしていた感じでした。



何歳から保育園に預けましたか?また、スムーズに入れましたか?



フリーってなかなか難しくて...。0歳までは家で育児をしていましたが、1歳になる4月に保育園に入れようと思ったのですが入れませんでした。でも、1日4時間を1カ月8回までという区の時間預かりを利用していました。その時は、シリーズの「LAW&ORDER」※2のお仕事をいただいていたので、しんどくって、すごくしんどくって、お昼寝の2時間の間に仕事をして、あとは夜寝てからと、なんとか時間を捻出していました。
2歳になる年にも保育園に申し込んだんですが、やっぱり外れて...。区の窓口にタイムシートを自分で作って提出したり、「本当に寝られないんです」と訴えてみたりしたのですけどだめでした。でも、保育園がたくさん新設された時期で、3~5歳になると新設園に転園する子どもも少ないので、定員に満たなかった園の余った職員と保育スペースで、保育園に入れなかった1、2歳児を1年限定で預かってくれる制度があって、運良く抽選に当たって9:00~18:00ぐらいまで預けることができるようになりました。



運が良かったですね。お2人目の時はどうでしたか?


上の子を1年限定の新設園に入れた年の11月に2人目が生まれたんです。
私の区は点数制で、子どもが2人いるという加点と上の子をすでに他の保育園に預けている実績で点数が上がって、次の4月から第6希望の保育園に2人一緒に入ることができたんです。自転車で25分ぐらいの遠い保育園で、雨の日とか悲惨ですが...。



仕事はいつしているのですか?


保育園に預けている間は、ほとんど家事はしないです。
保育園に行く前までに洗濯はして、あとはずっと仕事して、17:00頃から夕食を作って、保育園に迎えに行きます。上の子が女の子なので、とても協力してくれていて...。
睡眠時間を削るとすぐ体調不良になるので、なるべく仕事は日中に終わらせるようにしています。



仕事とプライベートでメリハリをつける秘訣は


子どもを保育園に預けて、「さあ、やろう!」とうまく切り替えられるときと、そうでないときがあるので、駄目そうなときは、保育園に行くときに仕事道具を持って行って、その帰りに外で仕事します。



外とは、図書館とかですか?


会社員のように「ここに行けば仕事」という場所があるわけでもないですし、家に仕事部屋がないので、カフェやドリンクバーのあるファミレスが多いです。
パソコンがあれば何とかなる仕事なので、なるべく画面を見られないような席を選んで、気分転換をしながら、スタートさえ切ってしまえば、その後、家に帰ったとしても仕事モードを持続できるので。


翻訳の仕事の魅力ややりがいはなんですか?


最大の魅力は、『生活のすべてが仕事に生かせること』です。理系を経由した遠回りの人生も、結婚も出産も育児も何もかも。人生の数だけドラマがあるとかなんとかありましたけど、どんな経験をしてもしたりないくらい、ドラマでもいろんな人生が描かれるので。 あとは、単純にやっていて楽しいです。
私自身、映像翻訳という仕事が間に入っていることを意識しないでドラマを見ていたので、そんな風に誰にも意識をされずに見られたい。余計なことを考えずに見てもらえることがベストだと思うので。
子どもを見ていて思うのですが、どの国の作品だとか、もともとの言語がなんだったとか、関係ないんですよね。字幕を読んでいるとか、映像がこう言っているとか、そんなこと全く気にならなくなる瞬間があるんです。作品そのものを楽しんでもらえる。それを自分の作品で感じられたときの「うまく消えられたときの快感」がたまらなくうれしいです。



翻訳する際に気を付けていることは?


諦めない、投げ出さないというか、これでいいかと思わないことですね。
ドラマ1本50分で字幕500~600枚ぐらいあるんですが、そのすべてで「消える」ことはさすがに難しいんですが、たとえば「Hi」は「やあ」みたいな決まり文句を使わないで、「字幕を作っている」という感覚にならないようにどのセリフに対しても、もう少し工夫したいと思っています。
演出の仕事の経験もあるからなんでしょうけど、まず1度全体を翻訳して、その後分析するんです。感覚的な表現ですが、字幕500~600枚がペターと平らになっているときと、凸凹して浮き出てくるときあって、凸のところは「ここは抑えよう」とか、凹のところは「上げよう」とか整えて、字幕がスーっと滑らかに流れるように持っていけたら提出しようと心がけています。



これまでで一番印象に残っている仕事はなんですか?


「LAW&ORDER」は3年ぐらい携わっていました。最初のキャラを作っていく作業から、ずっと関わってきて、シーズン20まであると警察・法律・犯罪など毎回勉強することがあり、いろいろな経験ができて、時間もかかった分、思い入れもある作品です。 2人目の時に「もう無理」と言って、"殉職"させてもらったんです(笑)。



映像翻訳者を目指す在校生に向けて、アドバイスや激励のメッセージをお願いします。



できなさそうだから諦めてしまうのではなくて、思い切ってやりたいなら飛び込んでみることですかね。 私の場合は、自分は何をやっているんだろう?他の人は何をやっているんだろう?自分はどれくらいの位置にいるんだろう?と疑問に思っていたので、友達と授業が終わってから、だれかの好きな映画の「何分から何分まで翻訳しよう」とちょっとした勉強会みたいなことをやって、みんなで回し読みをしていました。先生が見たら誰のもだめなのかもしれないんですけど、誰の翻訳が面白かったとか意見し合って、私の中ではそれがすごく身になったんです。映像テクノアカデミアは、疑問に思って聞いたら何でも先生方も答えてくれるし、友達も声をかけたら「やろうやろう」って言ってくれたし...。さらっと授業だけ聞くこともできるし、積極的にぐいぐい勉強することを強要されないけど、ぐいぐい行こうとすればどこまでも行ける学校でした。自分に合った吸収の仕方を見つけていけたらいいのではないでしょうか。



※1 「スポッティング」...字幕を乗せるためのタイミングを取っていく作業

※2 「LAW&ORDER」...1990年9月より米NBCで放送スタートして以来、高い人気を獲得し続け、全20シーズンにわたるロングランを記録した犯罪捜査ドラマの金字塔。1995年にはエミー賞作品賞を受賞。

ありがとうございました!今後もますますパワフルにご活躍されることを楽しみにしております!


【卒業生インタビュー 廉田牧子】 映像翻訳(字幕翻訳・吹替翻訳)にご興味のあるみなさま
映像テクノアカデミアの映像翻訳科では、映像翻訳(字幕翻訳・吹替翻訳)のプロを目指す方のために、基礎から応用レベルまで第一線で活躍中の翻訳者が丁寧に指導いたします。また、「本科」「専攻科」「プロクラス」修了者がトライアル審査をクリアすると、東北新社から仕事が発注され、幅広い分野の映像翻訳の経験をつむことが可能です。