声優科|東北新社の学校だから力が身につく!
所属率は業界随一!
苦しんでいる自分を見ている自分を作れ!
乃村健次 アクセント所属/1997年3月卒業
【主な出演作品】
外画:「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」(B・A・バラカス)「スパルタカス」(ドクトーレ)「イ・サン」(パク・チェガ)「CSI:マイアミ8」(ウオルター・シモンズ)「ザ・プラクティス」(ユージン・ヤング)「インフェルノ」(クリストフ・ブシャール)
アニメ:「アイシールド21」(太田原誠)「機動戦士ガンダムAGE」(イワーク・ブライア)「クロスゲーム」(赤石修)「宇宙兄弟」(吾妻滝生)「ONE PIECE」(ジャック)「ドリフターズ」(ジルドレ)「CYBORG 009 CALL OF JUSTICE」(005/ジェロニモ・ジュニア) 他多数
映像テクノアカデミアの1期生にはなぜか、とても面白く、多種多様な才能の生徒が数多く在籍していた、とはよく言われることです。今回出演いただく乃村健次さんもその1期生の一人です。
乃村さんは、入学当初からアカデミアの生徒でありながら、すでにアクセント所属の役者として仕事をしていました。
この意味で多種多様な生徒の一人になるのかも知れません。
しかしながら、こんな乃村さんがプロとしての自分が掴めたのはズッと後だったそうで、たぶんこの誰もが興味を持つお話をいろいろ伺ってみました。
インタビューをさせていただくにあたり、予備知識として「アクセント」のHPに載っている乃村さんのボイス・サンプルを聞かせてもらいました。それで、声の質が誰かに似ていると考えているんですけど、どうしても思い出せません(笑)。
個人的な記憶はさておき、のっけからこんな質問で申し訳ないんですけど、昔から声質は今のようにハードだったんですか?
最初から、とつぜんストレートが飛んできましたね(ニヤニヤ)。いや、声についてはゼンゼン・・・・言われたこともありませんでした。たしかこの世界に入ってからですよ、声について言われたのは。研究所にいた時です、「お前は芝居はダメだけど、声だけはいい」(笑)と言われたのが始めてでしょうか。
もともと、変声期になってから今のようになったのか、それともどこかの時期に鍛えたのか・・・・何か自覚はありますか?
思い浮かぶとすれば、野球部だったんで声出しはやらされました。
お腹から声を出すことは訓練していましたんで、それが原因でしょうか・・・・でもね、この話はあんまりね・・・・声は訓練で当然大きくなるんですけどただそれだけの話で、演技方面の基礎はなにもなかったんですから。
野球はいつからやっていたんですか?
中学の途中です、その前はソフトボール。
野球一筋?高校も続けたんですか?
続けたんですけど一筋とはいきませんでした。
出身は岡山なんですけど、野球の名門校が当然岡山にもあるわけです、倉敷工業とか倉敷商業とか・・・・高校進学のとき悩んだんですけど、一線級とは差がありすぎてありえない、というわけで名門校には行きませんでした。そこで一筋の方はあきらめて、エンジョイですよ。夏は暑いから水泳部もやるとか・・・(笑)
アハハハハ・・・良い話ですね!ハードなイメージの乃村さんにこんな軟弱さがあった、これからのインタビューがスムーズに進みそうです(ニヤニヤ)。話が途中から始まってしまいましたので、すいません順序だてて聞かせてください。まずこの業界を目指した理由、声優になろうとした原体験のようなものをお聞かせください。
平凡なんですけど映画が好きで、しかも外国映画が好きで、ちょうど高校の終わり頃デビッド・E・ケリー(注1)のシリーズで「LA・ロー 7人の弁護士」にイカレたんです。とたん弁護士ものが好きになって、吹替というものも始めて意識して、声優という職業もそのとき知ったんです。こういう意味じゃ奥手ですよね、普通なら興味を持ち出すのは小学校の高学年から中学の頃でしょう。
注1 デビッド・E・ケリー:ハリウッドの映画プロデューサー
代表作「シカゴ・ホープ」「アリー・myラブ」など
そうなんでしょうけど、でももっと面白いのは、普通なら声優はアニメから入るのがほとんどで、ですから年齢は低くなるでしょう。これと少し違ったパターンは演劇から入る型、乃村さんのようにテレビシリーズから入るのは珍しいんじゃないでしょうか。18,9歳の頃にイカレたと言われますけど、それまで外国映画に対してなんらかの基礎がないと、そんなに急に興味は持てないんじゃないでしょうか?
言えていますね。実際小学校の2年か3年のとき「キングコング」でやみつきになっているんです。父と一緒で劇場でしたから、当然よく読めない字幕で見ているはずなんです。内容は解っていなくても、あんな巨大な怪物が美女をさらうなんて子供にとっては衝撃です。
この辺からです、洋画好きが始まって、テレビシリーズの「ジョン&パンチ」とか「バイオニック・ジェミー」とかにも夢中になり、当然のことながらアニメにも興味を持って・・・・というお決まりのコースなんですけど、声優にまでは意識は行きませんでした。
ご覧になった作品の量は、普通よりは多いと思いますか?
量としては普通じゃないでしょうか・・・・普通じゃなくなったのは、この仕事をやろうと思い、研究が始まったときです。レンタルビデオが出始めた’80年後半くらいからかな・・・・
その18,9歳の声優を意識して、なってみたいと思うまで、声優については考えたこともなかったんですか?
残念ながら全くないんです。ただ単純なファンでした。野球をやっていたでしょう、違う世界の人間だったわけですよ。もっとも洋画好きが高じてハリウッドに出たいなんて、バカな夢は描いたことはあったんですけど(笑)・・・・でも人前に出ることは苦手なんで、じゃ声だけで演じたんならどうなるんだろう、と考えた事が直接のきっかけです。
ハリウッドですか(ビックリ!)思うだけでしたら何でもOKですから(大笑)・・・・それで声優になるための具体的な行動として、どのようなことから始めたんですか?
大学が東京でしたので、親元から離れられたのが大きなきっかけです。表向きは大学に行くために上京したのですけど、隠れた目的は声優修行でした。こんなこと親には言えないでしょう(笑)、ばれたら上京すらオジャンでしょう・・・・最初は東京アニメーションという短期の学校に通いました。
どなたが主催された学校ですか?
去年亡くなられたディレクターの高桑さん(注2)。
注2 高桑慎一郎:吹替演出家 吹替版業界草創期の代表的演出家
代表作「チキチキマシン猛レース」「サイレンサー 沈黙部隊」「シンシナティ・キッド」「どら猫大将」「ストリートファイター」「アダムス・ファミリー」他
なるほど。どんな授業でしたか?
実際の授業は鈴木れい子さん(注3)に教えていただいたんですけど・・・・授業は厳しくて、ものすごく徹底していました。だから本当に勉強になりました。夏休みなんか田舎に帰っていても、この方の授業だけを受けるため、上京したなんていうこともありましたから。
注3 鈴木れいこ:声優・アーツビジョン所属
代表作 アニメ:「クレヨンしんちゃん」「名探偵コナン」「忍たま乱太郎」「鋼の錬金術師」
外画:「ニキータ」「マイ・ビッグ・ファット・ドリーム」「ザ・シンプソンズ MOVIE」他
すると、かなり長くここにはいたんですか?
そうでもないんです(ニヤニヤ)。正直言って、目ざしたのは短期でモノにすることでしたから(笑)、とにかく次の短期の学校を探そうということで、俳協の養成所に行き着きました。
「短期」っていう言葉は普通はそんなに堂々とは言えないんですけど、言ってますね(笑)。それで短期で形にはなったんですか?
イエイエ、先は長いですよ(笑)
じゃ、俳協の養成所、確かボイス・アクターとかって言うんですよね、その時の様子はどうだったんですか?
ボイスアクターズ・スタジオです。開校してまもなくだったんで、人数は多かったです。最初は130人くらいいたと思います、6クラスありましたから。それが1年後になると、ふり落とされて12,3人くらいしか残っていませんでした。その中で男は4人だけ、今でも思い出すんですけど、ほんとうにその中に入れて良かったと初めて実感できた時でした。その4人は今でもプロとしてやっていますよ。
どなたですか?さしつかえなければ教えてください。
同期は大沢事務所の田中総一郎、現在フリーになっている岡野浩介、アトミックモンキーの関智一です(注4)。戦友ですよね。
注4 田中総一郎:声優 大沢事務所所属
出演作テレビ「天才テレビ君」「ダウンタウン☆セブン」 アニメ「MUSASHI GUN道」「ソニックX」「ヒートガイJ」他
岡野浩介:声優 フリー
出演作 アニメ「忍たま乱太郎」「怪盗レーニャ」「行け!稲中卓球部」 外画「THE O.C.」「プロビデンス」「デクスターズ・ラボ」他
関智一 :声優 アトミックモンキー所属
出演作 アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」「頭文字D」「カードキャプターさくら」「機動戦士Vガンダム」「機動武闘伝Gガンダム」「ドラえもん」他
なるほど、皆さん同期だったんですか、業界の中堅どころで頑張られている方々ですね。それで、俳協は短期だったんですか?
いろいろあって、1年ちょっとでやめて、それからは自分で事務所探しの営業をやらなければならない身分になってしまいました。
短期どころか劇的展開ですね!営業というと具体的にどのようなことをしたんですか?
自分でサンプルテープを作って、目当ての事務所に売り込みです。それで運良くアクセントが拾ってくれたんです。それに・・・・アクセントには自分の目標の一人だった、石塚運昇(注5)さんも所属していたんで、ラッキーではあったと思っています。
注5 石塚運昇:声優 青二プロダクション所属
出演作 アニメ「名探偵コナン」「ジパング」「機動戦士ガンダム」「スラムダンク」「ポケットモンスター シリーズ」
外画「ザ・ホワイトハウス」「スタートレック ボイジャー」「CSI:マイアミ シリーズ」「TAXI TAXI2」 テレビ「報道ステーション」「ニュースステーション」全英オープンゴルフ」他ナレーション,舞台,シェイクスピアシアター作品多数
ようやくアクセントまでたどり着きました。でもアカデミアはまだ出て来ません(大笑)・・・・アカデミアよりも、アクセントが先だとは、これも驚きです。
話を先に進める前に少し確認をさせてください。
2つの声優スクールは大学に行きながらのダブルスクールでしたよね。アクセントに入ったときは、大学は卒業していたのですか?
卒業真近だったと記憶しています。
とすると、世間一般の普通のコースとして就職は考えなかったんですか?
考えなかったですね(笑)・・・・自分でも不思議に思うんですけど、就職なんていう発想はゼンゼン持てませんでした。とにかく声優になろうということだけで、ダメだったらどうしようなんて、たぶん思いもしなかったと記憶しています。何を考えていたのか、不思議です(笑)。
申し訳ない言い方になってしまうんですけど、根拠のない思い込みって、若さの特権みたいなところがありますから、なんとなく理解は出来ますけど・・・・(笑)面白いですよね。それで、プロとしてスタートして当時はどんな種類の仕事を希望していたんでしょう?
プロでも駆け出しでしたから、仕事なら何でも、って言うべきなんでしょうけど、あえて希望と言うと、外画の吹替でした。「L.A.ロー」に魅せられたことからかも知れませんけど、外画をやりたかったんです。でも残念ながら、その頃はアクセントは運昇さんしか外画はやっていなかったですし、マネージャーもそちら方面は弱かった・・・ですからある部分、事務所に入れたのは良かったんですけど、自分の目標が少しはずれて弱っていたんです。こんな時に、アカデミアが開校するから行ってみたら、と言われたんです。
それはマネージャーの勧めだったんですか?
確かそうです、でも情報は運昇さんが持って来てくれたと聞きました。
役者として目標の一人が石塚さんで、アカデミアを紹介してくれたのも石塚さん、足を向けて寝れないじゃないですか(ニヤニヤ)。
事務所を変わってしまいましたけど、お世話になりました、いい兄貴分だと今でも勝手に思っています(笑)。
ようやくアカデミアにたどり着いたので、さっそくお話を聞かせてください。すでに事務所に入っていながら、学校に通ったということで、収穫はありましたか?
今まで説明してきましたように、アカデミアに行った目的は、一言で言うならばチャンスを掴みたかった、それが最大の目的ですから、結果的にこのように仕事に繋がったんで、良かったと言うしかありません。
それにあんなに多くの吹替のディレクターの方々に教えられたのは始めてでした。どのような考えを持って、どのように演出をするのか、それを直に眺められたことは本当に良かったと思います。
吹替ディレクターに教わるということって、何がそんなに良かったんでしょう?もう少し具体的に説明していただけませんか。
私だけの目標として、とにかく短期でモノにしたかったんで(笑)、現場で現在仕事をやられている方々がどんな発想を持っているのか、それから疑問に思うことを直接聞けたこと・・・・つまり先生に接することで、仕事の現場を想像できたこと、それが仕事に結びついたことが、一番大きな収穫だったように思います。
ディレクター指導の授業だと、時にはプロとしての仕事もやったでしょう?
やりました。まさに実践授業で、入学してすぐの仕事が学校案内のナレーションでした。
どこの学校?
アカデミアですよ(笑)。開校したばっかりでしょう、まだまだ色々なところに広告を打たなければならないため、白羽の矢があたったようです。それに、当時は現在のプロクラスにあたるクラスは無かったですし、生徒にどのような実践教育をするかで、いろいろ試行錯誤はあったようですけど、それにしてもよくやりましたね。
多かったのは、開局したばっかりだったのか、開局間近だったかは忘れましたけど、CSチャンネルの番宣番組とかショッピングのナレーションとかが多かった・・・・
当時、生徒は何人くらいでしたか?
たしか基礎クラスと実践クラスだけ。私達の実践は10人と少しだったと記憶しています。このためもあって仕事は多かったと思います。つまり少数精鋭(笑)、これは言葉のアヤじゃなくて、本当にそうだったと今でも思っています。
少数精鋭ですか(笑)・・・・
菅原あきは無名塾でしたから少し違うんですけど、事務所に所属しているのが実践では私だけ、だから少しは力は上だろうと考えていました。でもとんでもなかった!スゴイ奴らがうようよいたんです(笑)。たとえば青山穣やすずき紀子(注6)でしょうか・・・・個性派揃いで圧倒されましたよ。
注6
菅原あき:「無名塾」所属
出演作品 舞台「ドン・キホーテ」「森は生きている」「リチャードⅢ世」 映画「母のいる場所」 テレビ「非婚同盟」「ナースのお仕事」「身辺警護」
青山穣:彼の卒業生インタビュー参照
すずき紀子:「ケンユウオフィス」所属
出演作品 アニメ「英国戀物語エマ」「英国戀物語エマ第2幕」「ゼロの使い魔」
外画「ゴースト 天国からのささやき」「ホミサイド/殺人捜査課」「サウス・パーク」「蒼穹の昴」
以上3名いずれもアカデミア1期生
実際の仕事以外で記憶に残った授業、ありますか?
いろんなディレクターの方に教えていただいたことは確かなんですけど、いざ具体的に言えと言われると思い出せないんです。スミマセン(笑)。
むしろ卒業してから、先生方に仕事の現場でダメ出しをされたこと、こっぴどく怒られて、自分はこれからやっていけるんだろうかと本当に悩んだこと、そのほうの記憶がとっても大きくて・・・・・めぐまれているのかどうかはよく分からないんですけど、私の場合一言で言うと、修行は現場でということがとっても多かったですね。
アハハハハ、めぐまれているに決まっているじゃないですか。でもディレクターはどう
してそんな乃村さんを使い続けたんでしょう?
そうです、私も不思議でした。ですから、ある方に聞いた事があるんです。その方曰く「他の新人より一生懸命だったんで、変わるかも知れない」っていうことのようです。もちろん、人より一生懸命なんていう自覚はぜんぜん無いんですけど、悩んでいたことだけはよく覚えています(笑)。
でも、そのような悩みは新人は誰しもでしょう。それよりも、乃村さんにとって大きかったことは、目標の外国映画のアテレコをやれるようになったことですよね。
それは言えています。でも・・・完成作品を放送とかで観るでしょう、自分の下手さかげんには驚きますね、あれじゃ怒れられるわけです。自分でも納得しますよ(笑)。
駆け出しの頃、よくキャスティングしてくれたディレクターって、たとえばどのような方なんでしょう?
そうですね・・・・たとえば佐藤敏夫さん(注7)。よく怒られましたから、あの方から教えられたことは忘れられません。
注7 佐藤敏夫:吹替ディレクター 東北新社出身
代表作 「E.R 緊急救命室」「刑事スタスキー&ハッチ」「地上最強の美女 バイオニック・ジェミー」「スタートレック」「フランダースの犬」「サクラ大戦」「宇宙戦艦ヤマト2」
たとえば、どんなことを言われました?
当たり前の、基本的なことばっかりです。与えられたどんな役でも、たとえ小さな役でも具体的な現実の中で考えろ、その人間のバックボーン、どんな人間なのか、そして周りの役者の中での位置などについてです。ほとんどがスタジオが終わってから、居残りで説教されて、とにかく考えて、考え続けろって、何度もダメをおされましたよ。
苦労するのは誰でも苦労するんでしょうけど、乃村さんはプロになってからだから、やっぱり恵まれているんですよ。辛かったとは思いますけど(笑)・・・・・
繰り返しになりますけど、芝居の訓練ということでは、仕事をし出してから判ったことがとっても多かったように思います。仕事が終わってから、その役の復習や、違う役の演技のマネなんて当たり前でしたし、人の演技を盗みましたし、あの役者さんはどんな演技をするのか、予想をたててスタジオに臨んで、実地見学なんていうのも当たり前でしたから。予想通りの演技と、思いもよらない演技と、色々なんですけど、そんな繰り返しが自分の肥やしになっていると感じています。
質問が少し変わるんですけど、そんな乃村さんが努力のはてにジャンプできた、つまりこれぞ乃村健次の特徴が出せたと言える作品はありますか?
先輩方に見てもらっても恥ずかしくはないだろうと思ったのは、本当はまだまだなんですけどあえて言うならばですよ(笑)、シリーズの「サウス・パーク」をやったあたりからと思っています。あのブラックで放送禁止用語満載のアニメ作品です。
あれはもともと少人数の役者で、一人何役もこなしていくスタイルですから、とにかくどんな役でもやらされたんです。おばあちゃんの役までやりましたから・・・・あの経験で、少し抜け出られた、特に「抜けた役は任せろ」みたいになっていました。
吹替のディレクターは清水洋史(注8)さんですよね。清水さんは乃村さんのその様な芝居の可能性は計算していたんでしょうか?
注8 清水洋史:吹替ディレクター 東北新社外画制作事業部演出部次長
代表作「シャッターアイランド」「ヒックとドラゴン」「ダ・ヴィンチ・コード」「LOST」「ファイナルファンタジー」「REDLINE」
それは分かりません。でもこの前の作品で、これもシリーズなんですけど、前振りとしてオバカ役をやっているんです。ひょっとしてその作品をご覧になったのかも知れません・・・・
なんていうシリーズですか?
「キング・オブ・ザ・ヒル」という外国アニメ、あれも妙な作品でした。ディレクターは高橋剛さん(注9)でした。アカデミアに入るとき面接試験がありまして、私は覚えてはいないんですけど、高橋さんは試験官だったようです(オボエテイマセン!)、ずいぶんナマイキな生徒が入ってきたと思われたそうで、後々までこの時のことを言われ続けました(笑)。
注9 高橋剛:吹替ディレクター 東北新社出身
代表作 アニメ「超者ライディーン」「とっとこハム太郎」「一騎当千」「すもももももも 地上最強のヨメ」「ジュノー」「そらのおとしもの 時計じかけの哀女神(エンジェロイド)」
外画「名探偵ポアロ」「バイオハザード/アポカリプス」「ザ・リング」他
最悪ですね(ニヤニヤ)
その時以来、この方にもいろいろお世話になっていたんですけど、この作品でもっさりしたオジサンの役をキャスティングされたんです。初めてのキャラクターで、私なりに捻った芝居をやってみたら、面白かったようで、それで行ってみようということで、自分の新しい面が生まれたんです。
今考えて、そのような捻った芝居は乃村さんの本質だと思いますか?それまでは、アクション映画のハードな役でキャスティングされるのがほとんどで、乃村さんご自身もそう思っていたでしょう?
新しい役が本質だと思い始めました。それと、自分の売りと言っても良いし、本質と言っても良いし、新しい面と言っても良いし、言い方はいろいろあるんですけど、自分の新しい何かを発見しないともう長くはやっていけないだろうな、と考え始めていたんです。
もっと言うと、捻ったりしなくても、天然のままで違う自分が出せないか、そこまで考えていたところでした。
「キング・オブ・ザ・ヒル」の役は、違った自分を見つけるきっかけとしては、グッドタイミングだったわけですね。
そうです。ですから高橋さんにはとっても感謝しています。その役は自分でやってみて面白かったし、新しい面も見つけられたし、そして「サウス・パーク」で磨きがかかったと感じています。
「サウス・パーク」の後では、そのような面白い役が来たことはありますか?
アニメではよくあるんですけど、外画ではないですね・・・どうしてもイメージが黒人のごつい役柄になってしまうようで・・・・
質問を少し変えさせていただきます。乃村さんが今まで出た中で一番気に入っているとか、記憶にのこる作品があったら教えていただけませんか。
あります、「ザ・プラクティス」という弁護士もののシリーズです。ほんとうに偶然なんですけど、この声優という商売を知ったのも弁護士もののシリーズで、役者になってからも弁護士もの、なにか運命めいたものを感じてしまいます(笑)。
フフフフ その作品でどのような役をやられたんでしょう?
黒人の弁護士役です(笑)。オリジナルの役者の芝居の癖が独特で、言い回しなんかも変わっていたんです。それを表現するのはどうすれば良いのか、日本語の抑揚とか、息をどこで継ぐのかなど・・・・いろいろ考えすぎてしまって、演技はばらばらになるしで、その作品でもズイブン悩みました。主役の方に、やりすぎ、懲りすぎだと言われて、少しわかったところもありましたけど・・・・つまり、芝居をバラバラにしてしまっていたんですね、表情とか抑揚なんかばっかりに気が行ってしまって、日本語で何を伝えたいか、一番大事な事がおろそかになっていたんです。
あこがれの弁護士を演じられて、芝居でずいぶんもがいて、ほんとうに記憶にのこる作品でした。
いつごろやられた作品?
アカデミアを卒業してからすぐ頂いた仕事で、10年以上前だったと思います。
とすると、「プラクティス」でもがいて鍛えられ、「キング・オブ・ザ・ヒル」で新しい自分が見つかって、「サウス・パーク」で磨きがかかって・・・・こう振り返ると順調すぎるほど順調ですね(大笑)・・・・
ハハハハ 冗談はよしてください!挫折の連続ですよ、何度落ち込んだか!でも挫折のあと、もう少し上れるかもしれないと思う、その繰り返しです。
質問の最終コーナーに入ります。
声優も含めてなんですが、役者という商売は食えなくて当たり前!とはよく言われます。自分は食べていけるんだろうか、なんて下手糞な芝居しか出来ないんだろうとか・・・・・こんな悩みは役者なら当たり前なんでしょう。そして悩みに悩んだ末、もうやめてしまえ!といった挫折の経験、されていると思うんです。それは今までのお話でも想像できます。申しわけないんですが、繰り返しでもかまいませんのでもう少し詳しくお話していただけませんか。きっと後輩たちの参考になると考えますので・・・・
キツイ質問ですネ(笑)・・・・・・
やめようと思うことはしょっちゅうです。こんなことで、自分には展望があるのだろうか・・・・という疑問とか不安に襲われるわけです。でもやめて、ほかの仕事の何ができる?なにもできない、後戻りは絶対にできない!続けていくよりほかないんです。こんな公の場で言いたくはないんですけど、今41歳で今年で42になります(笑)。声優になれるなんていう確信があったわけでもなく、上京してからただただ前だけ向いて走り続けてきた結果が今の私の姿です。たぶん声優希望者から見るとあこがれの的なんでしょうけど、本人は不安だらけなんですよ(笑)。
想像するに、モノを創る商売は役者さんにかぎらずみんなそうなんでしょうね。でもスゴイことだと思います。
声優の何たるかを何も知らずただあこがれであった時は、単純な世界だと思っていました。ですからなにも知らずに足を踏み入れたところ、ものすごく複雑で難しい世界で、何物かになるためにはとにかく前にガムシャラに進まなければならない、その一心でやってきたように思います。
出来なかったから、クソッとも思いましたし、人に追いつくためにはやらなければならないことはあまりにも多すぎました。ですから後戻りをする暇もなかったと言ったほうがいいのか・・・・
乃村さんは、ご自身で見るに根性はあるほうだと思われますか?
よくは分かりませんが、負けず嫌いのところはあると思います。でも・・・・考えると、人との巡り会わせにも感謝しているんです。
先ほども言いましたけど、たとえばアカデミアには、青山(穣)みたいにものすごい修行を積んできた同期がいて「なんだアイツは!これが同期?できる!(笑)」ということで、とんでもなく自分はダメだ!と思える機会が多かったんです。俳協のときは関智一がいて、ぶっちぎっていました。そういう意味ではめぐまれていたんです。
最初会った時は、圧倒的に負けているんですけど、絶対に負けたくはないしいつかは見返してやりたいから、とにかくしがみついて前に進むしかないんです。
確かにどんな世界でも競争する相手がいて、その相手がすごいと自分も自然とひっぱり上げられる、それは本当に言えると思います。
絶対にそれは言えると思うんです。今まで本当にいろいろな役者さんにお会いして、その方々から刺激を受けて、ひっぱり上げられた、それは本当に良かったと思っています。
言われれば当然なんですけど、アカデミアでもあったんですね、そんな競争が・・・・
ありましたよ、すごかったですね。今の雰囲気はどのようなものかは分かりませんけど、私がいた当時は生徒同士はなめられちゃいけないと思っているし、先生も開校したばっかりで初めてですから、同じことを考えているしで、刺激的な学校でしたよ(笑)
最後になりますけど、アカデミアの後輩に向けてのメッセージ、まだあれば一言で良いですからぜひお話願いたいんですけど。
そうですね・・・・今までお話した事がほとんどなんですけど、そのほかにと言うと・・・・たとえばどんな時でもいいんですけど、仕事のとき、ふざけてやったこと、芝居を工夫して意外な面を出せたとき、とにかくどんな時でもいつも自分を見ている自分が必要だと感じています。つまり自分を眺める自分を失わなければ、階段は上れると思うんです。どんなに怒られた時でも、そのまま受け取って、嵐が過ぎるのを待つのではなくて、どうして怒られたかを考え、怒られている自分を見る自分を失わないこと、この訓練をぜひして欲しいと思います。冷静な自分を作って、何かに苦しんでいる自分を見ている自分を作る、この訓練、姿勢が出来ていれば大概なことは大丈夫で、乗り越えられます。
これは訓練で可能になりますか?それとも素質的なものも含まれていますか?
私はひとえに訓練でできると思っています。
今日は長い間ありがとうございました。たいへん面白いお話を聞かせていただいて感謝いたします。
一つの職業を持つことについて、とても面白い逆説があるものだと思ってしまうインタビューでした。
ただ外国映画が好きで、声優にあこがれ自分もなってみたい、このことだけから乃村さんの修行は始まりました。いや、修行というよりすぐなれると思っていたのでしょう。勿論そこには、この職業が自分に向いているとか、声優としての才能があるか、無いかなどという事は全く分からなかったわけです。ただ分かっていたことは、努力をしないとなれない、演じるということについてとことん考えないとプロには全くなれない、ということだけでした。ここには向き・不向き、才能などという不確かなものは入りようがありません。
やがてプロになり、実績を少しづつ重ねてきた後に、それまで費やしてきた努力それ自体が、自分の能力を具体的に教えてくれ、ひょっとしてこの仕事は自分に向いているのではないかと考え出す、乃村さんの苦労の跡はそれを語っているように思われます。
「冷静な自分を作る」「何かに苦しんでいる自分を見ている自分を作る」「それは訓練でできる」という言葉が、なによりもその努力のあとを雄弁に語っているのではないでしょうか。