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声優になるには年齢は関係ない

安芸けい子 アル・シェア所属/2006年3月卒業


【主な出演作品】
番組ナレーション:NTV「ズームインサタデー霧の火」 CX「大人の教科書」
外画:BSフジ「朱蒙(チュモン)」(チョンゴ)「チング、愛と友情の絆」(ホン・マダム)「善徳女王」(マンミョン) NHK BS2「ホテル・バビロン」「アグリー・ベティー2」NHK総合「太王四神記」
アニメ:NHK BS2「春のメリー」アニマックス「戦う司書」アットアームズ「チェコアニメ・屋根裏のポムネンカ」

安芸けいこさんが長い黒髪をなびかせて、部屋に入ってきました。レギュラーの収録が終わり、その足で急いでこのインタビュールームに来て頂いたのです 。
今回のインタビューは「年齢なんて関係ない」と言わんばかりに若い安芸けい子さん。安芸さんの声優スタートは驚くほど遅いのです。そんな安芸さんがどうして声優を目指したのか、そしてどうして映像テクノアカデミアを選んだのか、卒業してから今までの活躍も含めて、あれこれ聞いてみました。

お疲れ様でした。

お待たせしました。インタビューなんて私初めてなので緊張します。今日はよろしくお願いします。

時間もあまり無いので、すぐに始めても構いませんか?

どうぞ、どうぞ。なんでも聞いてください。

では、早速ですが、安芸さんの幼少時代はどんな少女だったのか、そして、どう言う キッカケでこの業界に入るようになったのか、または興味を持ったのか、聞かせて下さい。

私は広島で生まれ、広島で育ちました。
身体は健康でしたが、活発な少女とは程遠く、人前に出て何かをやるとか、自分から進んで発言する少女ではありませんでした。いつも誰かの後ろに居て、積極性のない少女だったのです。つまり自分に自信がなかったのですね。
中学生になった時、たまたまテレビで観たアニメ「ガンダム」に興奮したのを覚えています。今思うとその時の感動が、”声優に成りたい”と言う気持ちになったキッカケだったと思います。
そしてこの事を親に話したら「何を馬鹿なこと言うとるん、そんなもんに成れる訳ないじゃろう」と反対され、私も、親がそう言うのであれば……と、諦めてしまいました。

諦めてしまったんですか?

はい、何しろ親は厳しかったし、それで諦められるぐらいの、軽い気持ちだったんだと思います。

成る程。そこで諦めて、その後はどうしたんですか?

中学・高校・大学を卒業し、OL生活を10年間過ごして、ごく普通の女性が通る道を私は進んで来ました。その間には結婚もし、傍目には幸せな女性がそこに居たように見えていたと思いますが、その頃から、私の心の中に、”何か違うなぁ”と思うようになったんです。

よく分かりませんが、何が違ったんでしょうか?

“物足りなさ”を感じていたのです。

“物足りなさ”ですか。

はい。考えてみると、その時まで私は自分がやりたい事をやって来た訳ではなく、他人の目を、他人の言葉を気にしながら生きて来た様な気がしたんです。
そこで私が本当にやりたいことはなんだろうと考えた時に、中学の時に観た「ガンダム」を思い出したのです。元々私はアニメが好きだったし、洋画も好きだったんですね。ですから、暇な時、テレビを観ていて、中学の頃に感じたあの”声のお仕事をやりたい”と言う気持ちが、またまた目覚めたんだと思います。

それで行動に移したんですか?

でも私には声優というお仕事がどういう物なのか、何をどうしたら、あの「ガンダム」やその後、観た洋画の声に当てられる様になれるのか、皆目見当もつきませんでした。
そこで、私はあるターニングポイントをキッカケに、広島の声優養成所の門を叩いてみました。

その養成所ではアニメを勉強していたんですか?

いえいえ、アニメばかりではありません。舞台でお芝居もやりました。

そこの養成所では、どの位勉強したんですか?

1年間です。
でもその1年間で、私は「生きている証」を見つけたんです。それは、その養成所でやった舞台でした。勿論それまでお芝居などやったことのない私でしたが、舞台公演が終わり、幕が下りてから、演出家が私の演技を褒めてくれたのです。今まで何をやっても、人から褒められたことがない私は、この時初めて、「これが私の生きている証なんだ!」と実感したんです。

その時はまだ広島に居たんですよね。

はい。そして東京に出て、もっと演技の勉強をしようと決意しました。

でも、安芸さんは東京に出てくる決意をしたのは、大学を出てから、OLを10年間やった後ですよね。

はい、ですから、かなり年はいってました。

でも気持ちは若かった。

はい、気持ちはまだ中学生でした。

それで東京に出てきて、やはり何処かの学校に通ったんですね。

東京でお世話になった学校は、某声優事務所の養成所でした。そこで私は2年間勉強しました。
そこで滑舌の重要性と発声を習いましたが、私の声は低くて暗い声なので、先生に若い声で台詞を言ってご覧……と言われても私には無理でした。周りは20代前半の若い子ばかり。私はバツイチの30後半のおばさんでしたから。
顔ではニッコリ笑うようにしていましたが、心の中では「絶対に若い子には負けないわ!」と思いながらも、アパートに帰ると、1人泣いていました。

気持ちは中学生だけど……

現実が……

そこで諦めようか、どうしようか、迷ったわけですね。

はい。迷うというよりも、そこにはショッキングな現実があったんです。
つまり、声優事務所に所属していないと声優には成れない現実でした。しかも何処の事務所も、求めている人材は”若くて可愛い子”だったんです。
もう私にはこの世界で生きて行くのは無理なのかなぁ、諦めて広島に帰ろうかなぁ、と何度思ったか知れません。荷物を整理したこともありました。

落ち込んでいる私を見た、先輩が「東北新社の映像テクノアカデミアに行ってみたらいいよ。毎年多くのプロダクションを呼んで、オーディションをしてくれるから」と言ってくれたんです。

その先輩の言葉が、もしかしたら、そこに行けば、その年でも安芸さんを拾ってくれる、事務所が、あるかも知れないと思ったんですね

はい。その先輩の話を聞いて私は最後の望みを映像テクノアカデミアに託す決心をしました。その時私は40の声を聞いていました。

それで、安芸さんはアカデミアに来たわけですが、アカデミアで学んだ中で印象に残っていることは何だったんですか?

映像テクノアカデミアの生徒になって、私が一番びっくりしたのは、講師陣の層の厚さでした。しかも皆さん、現役で活躍していらっしゃる超一流の先生たち。
中でも私が一番印象に残ったのは、あの青年座の演出家で大活躍していらっしゃる、藤井清美先生でした。彼女が指導してくれた演技は、台本の読み込み方、役の掘り下げ方、役の作り方、役者としての考え方など、役者の第一歩からでした。とっても厳しく鍛えられました。

でも私にはどうしても頭から離れられない事があったんです。それは”年齢”のこと。いくら演技の基本を教わっても、マイク前の演技が出来るようになっても、多くの声優事務所がオーディションをしてくれても、果たして私を拾ってくれる事務所があるだろうか?疑問が不安を呼び、自信を無くさせ、考えれば考えるほど、胃が痛くなる毎日でした。

そしてある日、私はテクノアカデミアの先生に聞いたんです。
「私の声はこんなに低くて暗いとよく言われますが、私は声優になれるのでしょうか?」
聞く前から答えは分かっていました。「何処の事務所も若い子を欲しがるからね」と。ところがその先生の答えは違っていて、
「年齢は関係ない。実力さえあれば何処にでも入れるよ」でした。心の遺伝子「年齢は関係ない」この言葉で私は吹っ切れました。若い子に負けてたまるものですか!
そしてオーディションの2月11日。
私は先生の言葉を信じて、自分を信じて1分間のプレゼンテーションを行いました。そして私を拾ってくれたのが、現在所属しているプロダクション・ムーブマンでした。

良かったですね。そのムーブマンにはもう何年ぐらいお世話になっているんですか?

今年で5年目を迎えます。
勿論、この4年間は決して楽な年月ではありませんでしたけど、とにかく私は広島に帰らなくても済んだし、レギュラーも頂けたし、今、スタジオに入って吹替のお仕事をやらせて貰っている時、「ああ、これが私の生きている証なんだ」と思っています。

それで声優と言うお仕事をやり始めて、色々とお忙しいようですが、その中でも印象に残った作品、苦労なさった作品はあるんですか?

現場で苦労したことは、勿論あります。「チング」と言う作品で、私はレギュラーを頂いたんですが……
ディレクターに色々と駄目出しをされて……

どう言う所を駄目出しされたんですか。全然、口とは合ってないとか……そういう話ではないんですか?

そう言うのではなくて、、

役の捉え方が浅い?

多分、ディレクターの中で思っていたマダムの感じと、私が自分で捕らえた感じが、一寸合わなかったりとか、後はその、実を言うと私は凄く緊張する方なので本番の途中で、ディレクターに「緊張してる?緊張なんかしてたら、自分の力が出せなくなるよ」と言われた事がありました。

このシリーズはどの位続いたんですか?

去年の10月から、今年の2月までだったと思います。(2010年6月インタビュー時)

現場で緊張すると言うことは、それまでにも、何本か吹替はやっていたんだけど、数としてはそんなにはやっている方ではないと言う事ですか?

まわりの人達に言わせると、私はやっている方だと言われます。

それでもやっぱり緊張するんですね。

はい、します。
事務所に入って一年たったくらいの所で、準レギュラーと言う形で、お仕事を頂いたことがあるんですが、毎回出ている感じだけど、なんか一言しかなかったりとか……そんな感じだったので……
去年のその「チング」は、お母さん役も、やり手のおばさん役も、結構台詞の量が多くて……あんなに喋ったのは初めてだったかもしれません。

成程ね。20話のシリーズ物は、凄いですね。
その他に、これは本当にやって面白かった、と言うお仕事はありましたか?吹替じゃなくてもいいんですが、

東北新社のお仕事で、ですか?

いえいえ、ムーブマンに入って、やったお仕事です。東北新社は関係なくて結構です。

1回、着ぐるみの人形に声を当てるというお仕事をしたことがあるんです。

子供番組で?

テレビではなく、舞台の袖で、横から出演者を見ながら、その動きに合わせて、生で声を当てるというのをやったんですけど、あれは楽しかったです。

いわゆるアイスショウの場合は前もって、テープに声を録音して、それに合わせて動きますが、この場合はその場で、動きに声を合わせる……

ちっちゃい子供たちが見てる前で、生アテレコをやったんです。

何処かの、遊園地とかそう言う所でですか?

いえ、いえ、それは、”モーニング娘”のイベントだったんです。
で、もったいない婆さんと言う絵本があるんですけど、そのキャラクターの着ぐるみを作って、それを子供向けに、やったイベントがあったんです。私はその”もったいない婆さん”の声をやったんですけど、こういう経験は初めてでした

もったいない婆さんね。えー色々やられているようですが、これからなんですが、安芸さんが目指そうとする、役者って言うか、どう言う役柄に挑戦して見たいですか?

どう言う役柄か。そうですね、……

もったいない婆さんに対抗して、やりて婆さんとか……

そうですね。機会があれば、今度は是非、もっとやりてな感じで、やりて婆さんなんか出来たらいいですね。
でも、以前に、音響のミキサーさんに一度事務所でお会いしたことがあって、その時に、人よりも年も取ってるし色々とやりたいだろうけど、捨てなきゃいけないものもあるだろうから、残したものの中でそれを磨いて、それを武器にして行った方が近道だよ、とアドバイスを頂いたことがあって、……
やっぱり、声のお仕事をやって行くからには、やれるんだったら、別なキャラもやってみたいな、と思うこともありますが、この5年の間に、自分の中でこれを武器にして行こうって思っているものがあるので、それで、色々と挑戦していけたら、いいかなって思っています。

安芸さんの武器はなんだろう?

そうですね、やっぱり、声が、結構、暗いと言われるので、出来たら、目指せですけど、本当にハードルは高いんですけど、第2の来宮良子さんか杉本るみさん見たいな、……(声が急に小さくなる)出来たらいいかなって

もっと大きな声で言って下さい。

第2の来宮良子さんか杉本るみさんみたいな役者になりたいです。

素晴らしいです。あのう、今はこう言う声のお仕事をやっていらっしゃるから、声って言うことが前面に出てきてしまうんだろうけれども、声だけじゃなくて、例えばお芝居やりたいとか映画に出たいとか、それでこう言う役者になりたいとか、そう言うことはないんですか。

私、舞台はとっても好きなんですけど、映像の顔出しは、ちょっと苦手なんです。

つまり自信がないんですか?

自信がないって言うか、苦手なんです。演技がコマ切れになる感じがするんです。

コマ切れになる、要するに、例えば映画だったら、シーンシーンで、全体に見渡せないと言うことですか?

逆に自分がどうなっているのか、想像が上手くできなくて、……
在学中に映画学科の生徒さんの卒業作品に、2本程出させて頂いて、映画はこうやって作るんだよって経験はさせて頂いたんですけど、ここからここまで撮って、で、また、こっちに戻って、あら?さっきの続きではなく?……

まあ、映画の制作上それは当然ありますね。 それでは舞台はどうですか?

舞台は、今年はまだないんですけど……

また、あの藤井さんに鍛えてもらいたいと思いませんか?

そうですね、卒業した後も、別の所で、藤井先生の演出して下さった舞台に挑戦したことがあるんです。

どうでしたか?

それは一般公募だったんです。

安芸さんはオーディションから参加したんですか?

亀戸の文化センターが、年に一度、一般公募でやる舞台だったのです。
今はもう他の演出家に代わられたんですけど……それを何年か続けて、藤井先生がなされてて、先生が演出される最後の年に、一般公募で応募して、その時に入ったんですけど、やっぱりずっと怒られました。

それは小さな役だったんですか

いいえ。亡くなった旦那さんの奥様の役だったんです。タイトルが”煙が目にしみる”でした。

それでは最後に、アカデミアの後輩たちに一言お願いします。

一言ですか。なんだろう。「成せば成る」ですか。

でも、そうですよね。安芸さんは特別な経験を経てこの業界に入ってきたんですものね。
質問をもう一度、元に戻します。
広島で養成所に行った安芸さんの話を聞いて、一般的に解釈すると、その時、安芸さんは挫折をしていたわけですよね。それで、真っ白になられたのかどうかは分かりませんけど、もう、自分には残るもの、または持っているものは何もないと言う、大袈裟に言えば、そう言う感じだったんだと思いますが……。
「成せば成る」と言う、後輩への言葉を出されると言うのは。要するに真っ白であったからこそ、一から出直した訳で……

そうですね。それまでは何もお勉強したこともないし、本当に何も知らない、
何も分からなくて、一歩、踏み出してしまったと言うか、踏み込んじゃったので………

普通だったら、失って怖いもの。例えば、OLの場合、職場ですよね。それから家庭を持っていた時は家庭ですよね。そうしたら、そう言うものをリセットして、何も無いところへ踏み出せたかどうか、ですね。

でも、その時は、自分の生活に疑問を持っていなかったんですよ。それに、踏み出そうと言う気も無かったですし、やっぱり、色んな事があって、ある時期に自分がやりたい、本当に今までやりたいと思っていたことは、なんだろう?と考える時があったからこそ、踏み出せたと思います。それまでは、それを、思うことも考えたことも、振り返ってみた事も、あまりなかったので……

つまり、現実のマイナスが、そこの時点でプラスなったと言うか、プラスにしたと言う事ですよね。

そうですね。それまで、マイナスだったのが、行く所まで行っちゃって、パッと外しちゃったみたいな……感じですかね。

言葉で言うほど、そんな簡単な事ではないと思いますけど、

でも、今の自分があるのは、そのマイナスの期間があったからだと思えるようになりました。
私を拾ってくださった事務所の方や、私をここまで引っ張って下さった講師の皆様に、私は今でも感謝の念を忘れません。そして現在声優に成りたいと思っている人たちに、私は「成せば成る!成りたいと強く思えば、成れる」と言う事を信じて、頑張って頂きたいと思います。私も、これからも色んな出会いがあって、それを無意味にする事のないように、全てプラスにして行くように頑張りたいと思います。

きっと後輩たちもその言葉に勇気付けられると思います。
今日は有難うございました。

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