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声優という仕事は、コミュニケーション力を磨くこと

菅原あき 無名塾所属/1997年3月卒業


【主な出演作品】
外画:「アイズ ワイド シャット」「キャラバン」「いたずらねこラルフ」「ER緊急救命室」「FBI~失踪者を追え~」「初恋」「名探偵ポワロ 青列車の秘密」「ヒューマン・ターゲット」他
舞台:「ルパン」「変装の王子」「リチャード三世」「どん底」「JAZZ SINGER1~3」「かくれんぼ」「炎の人」「普通の女2・3」他

映像テクノアカデミアの1期生にはなぜか、とても面白く、多種多様な才能の生徒が数多く在籍していた、とはよく言われることです。今回出演いただく菅原あきさんもその1期生の一人です。青山穣さんや浅野まゆみさん、乃村健次さんと同じクラスでした。
菅原さんは当時から、仲代達矢さんの「無名塾」に所属されていました。舞台公演も多い「無名塾」の女優でありながら、どうして映像テクノアカデミアの門を叩くことを決めたのか?卒業後、舞台と並行して声の仕事もするようになり、現在、海外ドラマシリーズで菅原さんと仕事をしている佐藤宏樹ディレクター(声優・俳優科学科主任)がインタビューします。

今日はよろしくお願いします。何から伺おうかといろいろ考えたのですが・・・・。まずみなさんに最初にお聞きしてますが、一番最初に見た映画はなんでしたか?子供のころになると思いますが。

ほんとに初めて見た映画というと、東映まんがまつりの「フィンガー5の大冒険」かな・・・。
でもアニメの方が見る機会が多くて、一番記憶に残っていて感動したのは「ダンボ」ですね。というのも、映画の世界はもちろん、吹替の声優さんたちが、テンポに合わせて生き生きとたくさんの歌を歌っているのがすばらしくて、感激したんです。
映画の世界に入りこんで、夢中になって見ていたことを覚えてますね。

劇場でご覧になったんですか?

イベントで見ました。
今思うと、吹替に興味を持った根っこがそこにあるかな、と思います。

その後は、テレビの吹替版で「サウンド・オブ・ミュージック」や「ウェスト・サイド物語」が印象に残ってます。歌が好きなので。
子供の頃は、テレビの吹替版で映画を見ていましたね。

そうですね、今みたいにDVDが出るようになる前は、劇場に行くか、もしくはテレビで吹替版の映画を見ることが多かったですね。

夕方の時間帯に放送していた海外ドラマもよく見ていました。「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」は大好きでしたね。「大草原の小さな家」とか。アニメならカルピス劇場(※のちに世界名作劇場となる)は毎週欠かさず見てました。

小さいころはアニメでも映画でも、必ずといっていいほど声優さんの声に触れて育ちますもんね。その後、自分が演じてみたいと具体的に思い始めたのはいつごろなのでしょうか?

みなさん同じかもしれませんが、小学校の学芸会の時ですね。
たくさんの人を前に、何か言った一言でドッと観客が沸く。そんな体験をして、これは面白いかもしれない、私はもしかしたら向いてるかもしれない、と思ってしまったんです。それがきっかけといえばきっかけです。

学芸会では何の役をやったのですか?

言ってもいいんですか?「10円玉」です。

え・・・?10円玉ですか?セリフはあるんですか(笑)?

あるんですよ。『わたしは10円玉です』って(笑)
拾われなかった10円玉の気持ちを、切々と語るんです。新聞配達の少年が道端に落ちているのを見つけるんですが・・・。クラスで話し合うんです。『なんで拾わなかったんだ?』とか・・・ちょっと道徳的なお話でした。

10円玉は主役なんですね?

そうですね(笑)。まあ新聞配達の少年が主役といえば主役なんですが。

その劇の観客の反応がよかったと。

それもありましたが、人前で話すことが大好きだったんです。
なので学級委員にもなりましたし、国語の朗読は本当に大好きでした。
自分の朗読をカセットに録音してみたりしてました。アニメを録画して、セリフを聞き起こして、録音した自分の声と一緒によーいドン!で流したりして・・・

それは高度な遊びですね!いろんな方にインタビューしてますが、小さいころから自分の声を客観的に聞いてる方は初めてです!

声優さんが脚光を浴びている時代でしたね。ビデオやラジカセも流行ってましたし。
小学校の卒業文集で、将来なりたい職業に「歌手、声優、俳優」と書いていましたね。

  

なるほど。実際に、将来の夢に向かって活動し始めたのはいつごろですか?

ドラマでの大竹しのぶさんの演技に感動して、だんだんお芝居をやりたいと思うようになりました。
彼女のような女優さんになりたいと思ったんです。
それから母に頼みこんで、週に1度児童劇団に通わせてもらいました。学校の演劇部は「何か違う」気がして入りませんでした。
児童劇団時代(中学3年生~高校1年生)に、友人から「無名塾」の存在を教えてもらったんです。少人数で、個人に合わせてマンツーマンで指導してくれると聞き、是非受けてみたいと思ったんです。

では仲代達矢さんのことも、そのころからご存知だったのですか?

いえ・・・実は、当時役所広司さんが大人気で、素敵な方だなと思っていたら、無名塾ご出身と知って・・・。
それからもっと凄い方が師匠であると。仲代さんのことは後から知りました。
高2で塾のオーディションを受けたんですが、当時私はパンパンに太っていて(笑)、3次試験まで残ったものの『その体型じゃねえ・・・』と言われて不合格。
それならばと1年かけてダイエットして10kg近く落としました。そして高3の春に再挑戦して、入塾させていただきました。

激しい競争を乗り越えての入塾ですね。とんとん拍子じゃないですか。

そうですね。きっと、根性を買われたのかもしれません。さらに幸運なことがありました。
入塾したその年の秋、NHKのオーディションに受かってしまったんです。
そのデビュー作が、朝の連続テレビ小説「はね駒」でした。
受かったはいいけれど、まだ何も勉強していないうちで、ただただ緊張するばかり。芝居が出来ないから、役がどんどん小さくなっていきました。
台本をもらって本読みをするんですが、芝居ができないと台詞も出番もカットされちゃうんです。

悔しい思いをされたんですね。

本当に辛かったです。周りの方にずいぶん助けていただいてましたし・・・。
仲代さんの奥様(塾長である故・宮崎恭子さん)も見かねて、台本がくる度に毎回稽古をみて下さいました。
番組が終わって塾長から言われたのは『あんたはもう下手っていうことを世の中に知らしめてしまったから、あと10年は世に出られないわね。しかもよっぽど芝居がうまくならないと出られないわ』と。
じゃあここからの10年は、うまくなれるようがむしゃらに頑張ろう!地道に勉強しなくては!と痛感しました。

とんとん拍子で来ての挫折となったんですね。その後はがむしゃらに頑張る期間が続いたのですか?

頑張るといっても、表現者として何が必要なのか見えていないままで、お仕事をいただいても今一つ結果をだせない状況が続いていました。
入塾して10年目の年、事務所のマネージャーから映像テクノアカデミアという学校で勉強ができるよ、と教えてもらったんです。
今さら学校に通うのはどうかな?と思いましたが、声のお仕事にも興味があったし、もう一度一から勉強してみたいと思っていたので、思いきって入学を決めました。
映像テクノアカデミアを選んだのは、東北新社のディレクターの方が直接教えて下さることや、講師のみなさんが、実に様々な分野からいらっしゃっていたのが魅力的だったからです。

   

そのころはすでにいろんな経験もあって、役者としての幅を広げるために入学されたんですね。
1期生のみなさんから、当時はみな「腕に覚えあり」のメンバーだったので、授業では講師に反発したこともあった、というお話も聞くのですが、実際はどうでしたか?

私たちのクラスは少人数で、すでに役者として何らかの経験を持っている方が多かったですね。
講師からの指摘に、素直に従えない場面もありました。自分の弱点を指摘されると、人って弱いんですよね。自分自身を否定されたように感じて。
まわりもそうでしたし、私自身もそういう部分はあったと思います。
でも、求められたことに応えるのがプロですから、自分の主張を通すのは自己満足ですよね。
だんだんプライドを脱ぎ捨てていきました。
1年間のクラスでしたが、皆の希望でもう1年進級して、同じメンバーで学びました。みんなどんどん柔軟になって、前よりずっと面白いクラスになりましたね。

映像テクノアカデミアで学び続けた理由はなんでしょうか?

私は出会いを求めてアカデミアにきました。講師の方々はもちろん、一緒に学ぶクラスメートも実力があって、魅力的なメンバーだったから、触発されたいと思いました。

無名塾では、勉強する機会が少なくなってきていたのでしょうか?

塾では3年間の養成期間があり、そこで演技の基本的なことは学びました。その先は特になく、あとは舞台などで実践あるのみです。
「師匠の背中をみて学べ」というか。ですから細かい技術や発声法、日舞などの素養は個々人で皆勉強してますね。

なるほど。ちょっと意外でした。

私は技術を理論的に学びたかったんです。
たとえば感情を出すために大きな声でセリフを言えといわれても、いつも声をつぶすばかりなんです。どうしたら大きな声をだせるのか?身体の構造や、発声方法を学ぶことはそれまでしてなかったんです。のどを痛めては、私は下手な女優なんだ、と落ち込んでいました。

アカデミアに入って1年がたち、『もう1年勉強してみたい!』と決意した矢先、突然舞台の仕事が決まったんです。
お稽古と学校との両立をどうしたらよいか先生に相談したら、「両方やれば?」ってさらっとおっしゃってくれたんです。
私にはそういう発想がなかったので、なるほど!と思ったんです。
それでしばらくは、舞台のお稽古に出て、終わり次第かけつけ、遅れて授業に参加するという生活をしました。

その時の舞台が『リチャード三世』でした。今までにない大役で、私の役は現実離れした怨念の塊のような老女の役でした。
必死に頑張ったんですが、案の定、声をつぶしてしまって・・・。
ちょうど悩んでいた時、学校で発声法の先生から良い方法を教わったんです。
そしてそのたった一言のアドバイスで、もう声をつぶすことなく舞台をやり遂げることができたんです。
学校で学んだことを、即時に応用できたという経験をしました。本当にありがたかったです。
そのとき、舞台と学校両方を頑張って本当に良かったと思いました。発声法もそうですが、声の表現の幅を広げていただけたことも役作りの助けになったと思います。

どなたに教えていただいたんですか?

発声は田中晴子先生です。演技は一の宮先生。
そして同級生だったすずき紀子(注1)さんですね。彼女は赤ちゃんから老婆まで、本当にいろんな声がだせるんです。彼女からもすごく勉強させていただきましたね。
舞台では、自分の持ってる力を出しきっても足りないくらいでしたから、学校で教えていただいたことを最大限に活用できて本当に心強かったです。
ここが私のターニングポイントになりました。

 

注1 

すずき紀子:ケンユウオフィス所属 
出演作品 アニメ「英国戀物語エマ」「英国戀物語エマ第2幕」「ゼロの使い魔」 
外画「ゴースト 天国からのささやき」「ホミサイド/殺人捜査課」「サウス・パーク」「蒼穹の昴」

これもまたタイミングがよかったんですね。両方やる、という選択をできたことが。

確かにそうですね。気分転換にもなりましたし、自分の芝居を客観的に見ることもできましたね。

声優というジャンルは菅原さんが活躍されている舞台とどう違いますか?

発声法という観点でいうと、声優はマイクに声を乗せる、舞台は空間に響かせる・・・という点が違うと思います。
私はハスキーな声で、もともとマイク乗りが悪いんです。だからより技術的なことが必要だと思います。
オリジナルの役者さんの呼吸や演技に、自分の声を合わせていくので、制約がありますよね。もちろん尺(セリフの長さ)も決まっているし、口の動きや演技も合わせないといけませんから。

そうですね。制約は多いですね。オリジナルの役者さんの呼吸にあわせないといけない。あとは、舞台とは違って声の仕事は、台本をもらってから約1週間という短期間で、初対面の人もいるなかで収録するので、全く違った現場といっていいと思うのですが、すぐに慣れましたか?

なかなか難しいですね。以前ディレクターさんに注意されたことがありました。
私が、原音に合わせて一生懸命練習して本番にのぞんだら『現場の人に合わせてよ』と。
現場で一緒に演じている方の声を聞いていなかったんですね。原音ばかり聞いて、制約を守ることばかりにとらわれて。
日本語版を作る現場では、「原音」と「共演者の方の生の声」の両方をよく聞いて台詞をしゃべらなくてはならないと気づきました。とても厳密な世界だと痛感しました。

たまに「抜き録り」といって、声優さん一人だけで収録することもあるんですよ、スケジュールの関係などで。収録の時はあまり感じなくても、後で他の出演者のセリフと一緒に聞いてみると、その一人だけちょっと浮いてるように聞こえたりして、ひやっとすることがあります。
やはり皆が一緒に演じる現場の、生の雰囲気がでるんですね。人のセリフを聞いてお芝居をすることの大切さがありますね。同時にさまざまな作業をしなくてはならない。それぐらい声優というのは、専門性が高い職業だと思います。

その通りですね。セリフを尺や口の動きに合わせるには、反射神経や運動神経が必要なんでしょうね。
そして、より魅力的な表現にするには、その役者さんの人間性がでるというか。
合わせることも大事だけど、作品の世界観や役どころを理解して、自分が役者として訴えたいことを声にのせないといけないんだなぁと実感します。名優と呼ばれる先輩方は皆さん魅力的ですよね。原音とたとえ違っていても、その人の演技が伝わってくるんです。

最近それができない声優さんが多いと感じますが、それはなぜでしょうか。
一つには台本の読み込みが浅かったり、同時に映像も見なければいけないので、映像からの情報収集ができていないのではと思うんです。映像からは、タイミングだったり声色だったりしか読み取っていないのかなと。末端ばかりみて、掴むべきことを掴んでいないと感じます。

そうですね。私も初めて吹替の台本を読んだ時、短い台詞が多くて、本だけ読んでも内容が理解できませんでした。映像を見てやっと、「あ~なるほど」と分かる。日本のドラマの台本は、セリフにもう少し情報が書いてあるので読めば大体分かるんですが。
日本と海外ではドラマ作りの方法が違うのかもしれませんね。映像からの情報が大事なんです。
だから私は、まず映像を見るようにしています。意味が分からなくても原音で。そうすることで、状況が読み取れます。
息や舌打ち、表情など、海外の役者さんは日本人とは違う表現をするので非常に面白いです。

菅原さんはどちらの世界も行き来されてるので、相互にフィードバックできてとてもいいですね。そのうえで、「声優」という職業に魅力を感じてますか?

それはもう楽しいですね。海外の役者さんの演技も勉強になります。共演者の方の表現も毎回楽しみです。自分にいただいた役への挑戦もやりがいがあります。

 

先ほどおっしゃっていた、制約が息苦しいとか思うことはありませんか?

それはだいぶクリアできてきたのかなと思います、上手ではありませんが(笑)。先輩方を見習いたいと思います。

声優としてのコツのようなものを得た瞬間は覚えてますか?

意識を変えることが出来たのは覚えています。主観から客観にまわれた時ですかね。
入学したての頃は、自分はある程度できている、と思いこんでいました。それが表現できていないことを指摘されて・・・。自分が演じることと、吹替の演技はまったく違うんですよね。自分に集中すると、タイミングもテンションもどんどん離れていってしまう。すでに出来上がった映像の演技に合わせければならないから。
求められていることが出せなければ、表現していないことと同じなんだと痛感しました。
そこで自分を一度捨てて、ゼロになってみたんです。そこからかもしれません。
落ち込んでも、何も変わらない。もしかしたら努力の方向性が違うかもしれないと、自分を客観的に俯瞰してみるようになりました。
主観で動いているうちはなかなか難しいと思います。私も自分のプライドをそんなに自覚してなかったんですけど、先生に『君だけで世界はまわってないよ、人のために動きなさい』といわれました。

ディレクターとしても、キャスティングするのは役者さんへのラブレターのようなもので、それにどうこたえてくるか、いつもとても楽しみにしています。
役者さんからすると、このディレクターは自分のことをこういう風にみているんだな、とわかりますよね。初めてのお仕事はなんという作品でどういう役でしたか?

最初の頃は佐藤敏夫さん(注2)によく呼んでいただいてました。「スタートレック/ヴォイジャー」や、「ER緊急救命室」などのチョイ役で。

注2 佐藤敏夫:吹替ディレクター 東北新社出身
代表作 「ER 緊急救命室」「刑事スタスキー&ハッチ」「地上最強の美女 バイオニック・ジェミー」「スタートレック」「フランダースの犬」「サクラ大戦」「宇宙戦艦ヤマト2」

「アイズ ワイド シャット」にも出演されてるんですね。

これはオーディションがあったんです。スタンリー・キューブリック監督の助監督がいらっしゃって、一人一人丁寧にオーディションされました。本番でも、非常に細かい指示を受け、5分のシーンを半日かけて収録しました。

ご自身が演じた役の中で、お気に入りの役は何ですか?

2つあります。
まずはNHKで放送されていた「ボーイ・ミーツ・ワールド」というドラマで、歌手を目指している女の子の役です。ゲストだったんですが、歌もたくさんあって、キャラクターも幅があって楽しかったです。

あとは「ジャック&ジル」というドラマでの弁護士役です。サブレギュラーで、主人公と付き合いはじめるのですが、だんだん価値観がずれて敬遠され、別れてしまう役。
ちょっとスムーズでない役、一筋縄でいかない役は演じていて面白いですね。

癖のある役の方が演じ甲斐がありますか?ヒロインなどより・・・・

ヒロイン役なんて、来ないですよ(笑)もちろんやってみたいですけど。
癖のある役は演じ甲斐もあるけど、難しい。より高い表現力が求められるから挑戦してみたいですね。
この役だったらこの人!と思ってもらえるようになったらいいですよね。
何でも個性がある、武器があるというのは大事ですよね。

個性とはなんでしょうか?

こだわりを持っていること、なんじゃないでしょうか。
若いころ師匠から『もっと執着しなさい、あんたは淡白なんだから!』とよく言われました。
「表現者」は人に何かを伝える仕事だから、こだわりを持って役を追求して、伝えたい強い気持ちを持たなくてはいけないと思うんです。「こだわりを持つこと」がその人の個性になっていく気がします。
趣味でもなんでもいいと思うんですけど。こだわりを持っている人を観察してもいいですね。

最後になりますが、今、もしくはこれから声優や俳優を目指そうとしている人に、アドバイスをお願いします。

役者というのは、なかなか結果がすぐに出ない職業だと思うんです。一生かかるかもしれない。それを覚悟して目指してほしいです。大変だけど、やりがいはあります。まず自分自身が豊かになりますね。お芝居の勉強は、社会の中で活かせることもたくさんあるし。
一つ言えることは、自分が長所だと思っている声より、そうじゃない声が評価されたりすることもあるということです。
仕事を続けていくには、ニーズにあった声や表現も磨かなくてはいけません。得意としている声とは限らないのです。そのためには、クラスでいいなと思う人の真似をするのもいいと思うんです。周りの仲間も、皆先生です。
自分の声をどう上手くのせるかだけでなく、周りの役者さんとどう上手く絡めるか・・・コミュニケーション力も大事ですよね。
いろんなことを試して、いろんな自分を見つけて頑張って下さい。

このインタビューが私と菅原あきさんとの初対面でした。当時、私は菅原さんと仕事でご一緒したことがありませんでした。もちろんお名前は存じ上げていましたが、「無名塾」という大きな看板が目に入ったせいでしょうか、舞台や映像を中心にやっていらっしゃる、またやっていきたいと考えていらっしゃる方だと思っていたのです。

しかし、吹替版の映画やドラマ、アニメを毎日のように見ていた子供の頃のお話など、現在の菅原さんのルーツとも言うべきものが声優の仕事であったり、行き詰まりを感じていた時にもう一度学び直そうと思った場所が映像テクノアカデミアであったことなどから、この方と声優の仕事は切っても切れない縁であり、また菅原さん自身が積極的に取り組みたいとお考えだということが「熱」で伝わってきました。

それからしばらくして、私はある海外ドラマの収録現場で菅原さんと再会することになりました。新人の声優さんが多い現場だったので、最もキャリアが長いのは菅原さんだったのですが、新人の方たちが驚くほどの菅原さんのフレッシュさ、失敗を恐れない攻めの演技、台本に書かれている「文字」を、ご自身の身体を通すことで「生きた言葉」に変え、会話というコミュニケーションに到達させる力は圧巻でした。思い切りが良すぎて勇み足なんてこともちょくちょくありますが、それがまた周りの声優さんを和ませたりと、なんとも愛らしい方で、みんな一瞬でファンになってしまいました。

つい先日まで無名塾の公演「ロミオとジュリエット」で日本をぐるりと回ってきたそうです。表現の場にこだわらず、表現することにこだわりを持つ菅原あきさんをこれからも応援していきたいと思います。

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