映像・広告クリエイター科

2014年 09月 29日

2014夏季特別短期セミナー『信也のまんま 3』多田琢さんレポートUP!

夏季特別短期セミナー/『信也のまんま3』レポート


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東北新社の映像学校『映像テクノアカデミア』では、最も輝いているトップ・クリエイターの方々をお招きして特別短期セミナーを開催して参りました。

本年度はその第10回目として、中島信也(東北新社/CMディレクター)がホストとなって、優れたとCM・広告のトークショウを行います。
ゲストのみなさんの過去、現在、未来とリアルな現場のエピソードを語ります!



8月6日(水)上田義彦さん(カメラマン)
       CMと撮影

8月7日(木)大貫卓也さん(アートディレクター)           CMとアートディレクション

8月8日(金)多田琢さん(クリエイティブディレクター)        CMとプランニング




【第1夜】 8月6日 上田義彦(カメラマン)× 中島信也(東北新社/CMディレクター)

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今年の「信也のまんま」第一回目のゲストは写真家の上田義彦さん。
上田さんと中島信也が表現することへの奥深さについてを語り合いました。

上田さんは関西の出身。高校を卒業して、自分の希望していなかった大学に進学したものの、再トライしようと思い、浪人生活を選択。二浪の末、大学ではなく写真の専門学校に通うことになりました。
クラスで写真撮影の経験がまったくないものは二人だけでした。写真専門学校の先生はそれを見て、「キミたちはいいんやないの?!」とおっしゃったそうです。
上田さんはこの写真専門学校での講師のことがとても好きで、将来はこんな先生になりたいと思って写真専門学校に通ったそうです。(そんな上田さんが、今年から多摩美術大学の教授を始めることになりました。)

卒業後、カメラマンの福田匡伸さんのところにアシスタントとして入り、その後、有田泰而さんのところで修業をされ、1982年に独立をされます。
そのころ、上田さんが撮りためた作品集を持って、当時丸の内の東京ビルにある広告会社に作品集を見てもらいに行ったそうです。すると、見た方が開口一番、「キミは広告に向いてない・・・。」と言われたそうです。「広告は明るくてきれいでなくちゃいけないのに、君の写真は暗い」と。すべてモノクロの作品だったそうです。ショックを受けた上田さんは、東京ビルの向かいの高架下にあった蕎麦屋に入って一休みしたそうです。

しかし、上田さんは全然めげません。数日後、上田さんはその作品集をファッション雑誌「流行通信」の編集部に持っていきます。1980年代ものすごく勢いがあり、最先端なファッション写真を手掛けているこの雑誌の仕事を上田さんは始めることになりました。

広告との出会いは、流行通信の写真を観たサンアドの葛西薫さんから声がかかり、仕事をするところから始まったそうです。上田さんと葛西さんのサントリー烏龍茶のキャンペーンは、広告史に残る仕事ではないでしょうか?
その後、上田さんが手がける広告の仕事が増えていきます。
最初はグラフィックを中心にされていましたが、1980年代にグラフィック写真家にTVCMを撮ってもらうというスタイルが増えてきて、上田さんもムービーを撮るようになりました。
IMG_7716 OK_blog.JPG 1980年代はある種、自由度が高かった時代ではないかと中島信也と上田さんが語ります。
感覚的なものを大事にすることができ、現場で「感覚を開放して」仕事ができる環境がありました。現在は、規制が多く、多くの約束事の中で仕事をすることになり「感覚を開放」することがなかなかできない状況でもあります。
でもあの頃の感覚を今も大切にしたいと二人は語っていました。そのためには「おおらかさ」が必要なのかも知れません。中島信也も上田さんも、そうした広告主やクリエイターたちとの出会いがあり、その人たちの「懐の深さ」の中で感覚が解放されていったのではないでしょうか?ものを創るときのある種の余裕が成長の糧になるということですね。

中島信也との出会いとなった仕事は、「パルコグランバザール」のCMでした。藤谷美和子さんが着物を着て佇む美しいものなどです。
その後、大貫卓也さん(第2夜で対談)との「生け花小原流」などの仕事を経て、多田琢さん(当時:電通、現TUGBOAT/第3夜で対談)とのサントリーの「ダカラ」の仕事が長く続きました。
「ダカラ」といえば小便小僧が出て喋るというCM。白い小便小僧に白バックということで、上田さんに頼んでも暗くならないだろうと思っていたら独特の暗めのトーンになって、いったんはもっと明るくしてみたのですが、それは明るすぎる!ということで、結局は元のトーンに戻ったそうです。
今観るとそんな「暗い」感じはまったくなく、むしろ時代が上田さんの撮影の表現レベルに追いついて来たのでしょう。

その後、中島信也と上田さんは現在まで10年にわたる「サントリー伊右衛門茶」のTVCMのキャンペーンに携わられます。実は伊右衛門茶のTVCMのライティングとダカラのTVCMのライティングの仕方はとても似ているそうです。スタジオで、曇り空のリアルな自然光をいかに創り出すかがポイントだったようです。

そして、ドコモの「walk with you」シリーズのお話になりました。
CDである多田琢さんが、演出を全面的にに中島信也ディレクターに任せており、中島信也は撮影に関する部分は上田さんに任せている。先ほども出た「懐の深い」仕事がこのシリーズでは実現できているのでしょう。

現場では上田さんは、「感覚を開放」して気持ちのいいフレームを切り取っていかれるそうです。フレームの決め手は、自分の中の遺伝子レベルにおいて、また撮影現場の自然環境の中で「なつかしい」という感覚に出会えることだそうです。この感覚は人によって、違ってくるのかも知れませんが、撮影フレームを決めて切り取るということの本質的な意味がこのお話の中から見えてくるようでした。
そして、上田さんはそのフレームが見つかるまであきらめない。きっと見つかると信じて仕事をやっているとおしゃっていました。それが見つかることを上田さんは「奇跡」という言葉で表現されていました。「奇跡」を見つけるには「余裕」が必要だ、とも話され、先ほどの「おおらかさ」とか「懐の深さ」と同じだと思いました。

絵コンテを見て、こうしたいというイメージが自分の中に生まれ、それを超えたものを探したい!という気持ちを、常に持ち続けて仕事をされているという姿勢に、会場内が静かな熱気に包まれました。

IMG_7728 OK_blog.jpg また上田さんは広告の仕事と並行して、自らの写真家としての活動をされています。いろんな場所にカメラを持っていき、たくさんの写真を発表されています。何も用事がないときはスタジオの暗室にこもるのが何よりも楽しいとおっしゃっていました。
数年前から竹芝で写真のギャラリーgallery916を始められました。
自らの写真家としての仕事と、広告の仕事を両方やることがとてもバランスが取れていていいのです、と語っておられました。中島信也も演出家をやりながら取締役として会社の経営会議などに出席し、また、大学などで講義をし、さらにはバンド活動などもやっています。やっていると休みがなく大変だけど、これをやることが自分らしいのでは?とおっしゃり、この感覚も上田さんの感覚と同じようなことがあるんだろうなと想像しました。

対談終了後のアンケートの中で、今回のトークショウを聴き「とても静かな気持ちになった」というコメントが印象に残りました。

【第2夜】 8月7日 大貫卓也(アートディレクター)× 中島信也(東北新社/CMディレクター)

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大貫さんが珍しくお話をされる。ということで、映像テクノアカデミアの教室は受講者であふれかえりました。19時半からお話が始まり、終わったのは予定時刻を40分以上過ぎた21時45分でした。

しかし、参加者のアンケートを見ると「もっと、聞きたかった」という意見が多く寄せられ、大貫さんのお話は到底90分では語りきれないことがよくわかりました。
この講義について大貫さんとの事前打ち合わせの際も、90分でどれだけ喋れるかなあ?ということをすでにお話されていました。
中島信也ディレクターが進行役を務め、大貫さんのお話に耳を傾けるというカタチで対談は行われました。

まず、大貫さんの広告クリエイターとしての転機になった仕事
「としまえん」のお話から始まりました。
博報堂に入社された大貫さん。
当時は資生堂、サントリー、ソニーと「S」のついた広告主がいい広告を作っていた時代。その時代に「としまえん」か?と大貫さんは最初思われたそうですが、それならこの「としまえん」で画期的なものをちゃんと作ってみようと思われたそうです。

そこで作られたのが「としまえん」のプールの広告「プール冷えてます」というもの。

この時代は、みんなが広告という「作品」を作るのが目標のようになっていました。大貫さんは、世の中のヒットCMより、ラーメン屋さんの「冷やし中華はじめました」のはりがみの方が機能していると思ったそうです。そこから生まれたのがこの広告でした。広告は、本当に機能してはじめて意味があるということを、当時はみな見逃していたのかも知れません。

oonuki_02.jpg 面白かったのは「としまえん」の方に、大貫さんは「広告」も遊園地のアトラクションと同じように商品だと考えてくださいと説得した、というお話。
「『遊び』を売っているところが『広告』で遊ばなくてどうするんですか?」という話はとても納得できるものでした。

続いて、ラフォーレのTVCMの紹介がありました。
当時、日本ではアイスクリーム屋さんやデパートのバーゲンなどに行列ができるというような社会現象が起こり始めていました。


大貫さんは、この行列という社会現象をラフォーレの専売特許にしてしまえばいいと思ったそうです!そして、その行列をTVCMとして表現したものをいくつか見せていただきました。
大貫さんはこのCMのシリーズを一生やっていればいいと思っていたそうです。それは、言い換えると、一生やり続けられるだけのアイデアだと思います。

1980年代後半になって日清食品カップヌードルの「hungry?」のシリーズを大貫さんは手掛けられました。
みんなバブルで浮かれていた、飽食の時代に、対しての提案でした。
このCMシリーズは1993年のカンヌ広告祭でFILM部門のグランプリはじめ数々の広告賞を獲得しました。
この「hungry?」のCMも、いつまでも鮮度を失わない、見れば見るほど好きになるCMシリーズになりました。そして、そんな「ど真ん中の企画」は、いつも一生やっててくださいとプレゼンするそうです。

また、大貫さんが今回の講義の中で何度もおっしゃっていたのが、アイデアを見つけるのは速い。そこからアイデアを定着させるまでに時間がかかる、ということでした。この時も、マンモスと原始人の大きさのバランスがどんな感じがいいのか?マンモスの目はどの辺りにあるのがいいのか?毛の感じは?などと延々と試行錯誤が続いたそうです。
このキャンペーンで、カップヌードルは完全にグローバルなブランドになったのではないでしょうか。

続いて「キリンラガービール」のCMの紹介でした。ハリソン・フォードや菊池桃子などのタレントが、キリンラガービールのラベルの中で「キリンラガービール」を飲むと言うもの。まるでMGMの映画のタイトルのようです。MGMはライオンですが、そこに様々な有名人が登場し「キリンラガービール」を飲みます。キャッチフレーズはシンプルに「キリンラガービール」というだけ。

このお話しの中で、大貫さんは「シンプルは引き算ではなく、究極の足し算なんです」とおっしゃいました。最初のオリエンでキリンビールは言いたいことが山積みだったそうです!その答えは「ど真ん中」にありました。キリンラガービールのラベルが全てを語るポテンシャルを持っていたそうです。これが究極の足し算の答えだったのですね。

この時期、大貫さんはデザインの言語化についてを考えるようになりました。デザインを言語化できれば、デザインは強力な戦略になると。デザインやビジュアルが持っている意味や機能を、普通の人たちに向けられてわかりやすく翻訳することに集中されていました。
「デザインは論理的であるべきだ。ただし、論理はそのままでは伝わらない。論理がジャンプして初めてみんなに伝わるようになるんだ。」と言っていました。

大貫さんはTVの中で流れてくるCMが、本当にどれだけ見られているのか?ということを強く意識されています。TVの中の異化効果とでもいうのでしょうか?何かすごいもの、変わったものを見た!という印象が「ラフォーレ」「hungry?」「キリンラガービール」すべてにありました。
大貫さんの言葉を借りると「通常、テレビのモニターから流れてこないようなオリジナルの世界観を作らなければいけない」ということの結果だったのでしょう。

その後、大貫さんは博報堂を退社され「大貫デザイン」という事務所を立ち上げます。その時にやったキャンペーンを紹介していただきました。

「PEPSI」です。
とにかく、タレントは商品そのものしかない、と思われたそうです。そこから生まれたのが「ペプシマン」。CMが人気になるのではなく商品が人気になるCMを作りましょうと提案されました。ペプシコーラの訴求メッセージはこの「ペプシマン」にすべて詰め込んだそうです。 「ペプシマーン!」というサウンドロゴとともにいろんなところにやってくる「ペプシマン」。手には指輪をしチェーンのネックレスをしたおしゃれなペプシマンですが、ちょっとおっちょこちょいなところがあり愛されるキャラクターです。これを、当時CGで世界最高峰と言われたILM(インダストリアル・ライト&マジック)社に依頼して制作をしました。当時CGはカッコいいもの、という時代に、あえて最高の技術でサイコーにバカなことをやってみた、と。またこの仕事で「映像編集の面白さを学んだ!」とおっしゃっていました。

その後、大貫さんは通常の広告の枠からはみ出した活動を始めました。その代表が「ペプシのボトルキャップ」キャンペーンではないでしょうか?

「ペプシマン」のボトルキャップから始まり、その後の「スターウォーズ」のボトルキャップのキャンペーンは、日本での社会現象になりました。ペプシを箱買いしてボトルキャップを集める人が続出。この時ペプシの売り上げが初めてコカ・コーラを抜いたそうです。

2001年9月11日、NYでテロ事件が起きました。

お通夜のような自粛ムードが漂う中、世の中に対して勇気を持って困難に立ち向かっていく、元気で明るくて力強いイメージをTVを通して発信したかった!そこから、「イチロー」のペプシのキャンペーンが生まれたそうです。ミュージカル仕立てで、とにかく、底抜けに明るいCMが完成しました。

oonuki_03.jpg つぎに「CCレモン」のCMの紹介。
当時、アメリカで流行していた「シンプソンズ」のアニメーションを使ったキャンペーンです。そうして実際にCMを作って放送したところ、放送開始数日で、売上がかつてありえないV字回復をしたそうです!
世の中のCMはみんな同じ顔をしている。そのことにみんな気がついたほうがいいと思ってこのCMを企画されたそうです。結果、1本のCMが確実に発信力を持つことになり、GRP(延べ視聴率)を10倍にしたことと同じだとおっしゃっていました。

後半、時間がなくなってきて駆け足でのお話になりました。

「softbank」のキャンペーンのお話。「安くて、かっこいい、安心の」そんな「新ブランド」を圧倒的なスピードで確立させる力技が求められたそうです。
大貫さんは、圧倒的なスピードで好感度を手にするために一番大きなタレントは「音楽」だと思われたそうです。誰もが好きになる「オリビア・ニュートン・ジョン」などの元気なメロディが、今の時代には不足していると思ったそうです。そうして、出来上がったのが、キャメロン・ディアスやブラッド・ピットが登場したあのCMシリーズでした。


そして、この講義の最後に資生堂の「TSUBAKI」のTVCMをいくつか紹介していただきました。

このキャンペーンで「日本の空気を変えることができる」と。

最初、どんな新商品のシャンプーを作っても成功しない。「資生堂」というブランド自体を復活させない限り、何をやっても一緒だと思ったそうです。
そういう考え方から生まれたこの「ツバキ」は「商品」でもあり、「女性」でもあり「資生堂」でもあるのです。
この仕事で、「ほんとうに日本女性をきれいにする広告を発明した」と思われたそうです。結果、多くの女性がこの「志」に賛同しました。このキャンペーンを通じて「世の中を良くしたい」という「志」がブランドの核になり、そのことが結果的に営業利益となることを再確認されたそうです。

アンケートで「もっと話を聴きたかった」という意見が多かったのがおわかりになったでしょうか?

次回は、大貫さんにさらなる長時間の講義をしていただきたいなと思いました。

【第3夜】 8月8日 多田琢(クリエイティブディレクター)× 中島信也(東北新社/CMディレクター)

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今年の「信也のまんま3」の最終回は多田琢さん。とても男らしい感じの方でした。中島信也ディレクターと楽しくお話をされ、いつも明るくてポジティブなその感じがとても印象に残りました。

多田さんは大学時代にどこに就職しようか?と考えてTV局のプロデューサーになろうかな?などと思われ、就活をされていました。多田さんは映画への愛がハンパないそうで、「映画監督」という職業が、学生時代から一番のあこがれだったと聞きました。そうした関係に近いところに進みたいと思い就活をされ、最終的には「電通」に入社されることになります。
多田さんは「電通」のクリエーティブに行きたかったのですが、先輩たちから、転局試験を受けてクリエーティブに入って来た人たちに凄い人がいるから!というのを聴いて、まずは営業局に行くことにしたそうです。実際に現在でも電通で転局された方で、佐々木宏さん、佐藤雅彦さん、岡康道さんなどがさまざまな分野で大活躍されています。
営業局に入って、3年後に転局試験を受けました!なんとその時は、転局試験に落ちてしまったそうです。営業部にいながらクリエーティブに行きたい!という多田さんは、とても大変だったそうです。営業局の人たちは営業で仕事を回しています。彼らはそれを誇りに思っているからこそ、別の局に行きたいという多田さんには厳しかったのでしょう。電通での転局試験が受けられるのは2回まで。あとがない多田さんは2年後に転局試験を受けて、晴れてクリエーティブ局に転局が決まりました。それから20年、多田さんは多くの優れたTVCMをはじめとする広告を創りつづけることになりました。

最初に手がけたCM作品は、ブルボンの「ルナール」というお菓子のCM。
新潟は柏崎のブルボンの、当時の宣伝担当の方に多田さんは言ったそうです。今までのブルボンのCMは良くない!このままではだめです!と。それを聞いた当時の宣伝担当の方は、その言葉をいたく気に入られ、じゃあ、そこまで言うなら新しい商品が出るのでそのTVCMを任せます!と言われたそうです。
そうして多田さんは後日、ブルボンにプレゼンに行くことになりました。3案プレゼンしたのですが、その際に担当の方は、画コンテをまったく見ず、ただ多田さんの目を見ていたそうです。多田さんの目を見ながら、それで、キミはどれがやりたいの?と聞かれたそうです。任せると言ったらすべてを任せる、そういう方だったそうです。そのCMが、このブルボンのルナールというものでした。ちなみに演出は関口現さんだったそうです。

中島信也ディレクターとの最初の仕事は、サントリーの「角瓶」のCMです。加賀丈史さんと堤真一が登場する「坊ちゃん」のCMシリーズでした。当時のCDは白土謙二さん。多田さんは転局して最初、白土さんについて学ばれたそうです。

その後、いくつものヒット作を多田さんは量産していきます。
中島信也との記念すべき仕事は「サントリーのダカラ」のCMでした。たくさんのダカラのCMの中から、中島信也が選んだものを見ました。へええええ!こんなんがあったんやああ!というような見たこともないダカラのCMが流され、会場内は爆笑の渦でした。

1999年、多田さんは岡康道さん、川口清勝さん、麻生哲朗さん、とともにクリエイティブ・エージェンシー「TUGBOAT」を設立されました。その頃にSMAPの仕事を手掛けていた多田さんは、「BIRDMAN」のPVなどをきっかけにSMAPのマネージャーからSMAPのCD発売のキャンペーンを、博報堂を退社し「SAMURAI」を設立したばかりの佐藤可士和さんと一緒にやってくれませんか?と依頼され、何年間かSMAPのキャンペーンを手掛けられました。
多くの「SMAP」のデザインが東京の至る所で見られるというキャンペーンを最初に始めたのが、こうした仕事だったのではないでしょうか。これらの仕事を通じて多田さんはグラフィックの広告は、広告表現の川の源流に近いんじゃないか?と感じられたそうです。広告のコンセプトやスタートみたいなものがそこから見えてくるという言葉が印象に残っています。

この仕事を通じて多田さん自身は、企業の商品開発からやるというような仕事もいいが、純粋にCM表現を考え追求していく方が自分にとっては面白いのでは?と考えるようになりました。

その後の多田さんの代表的な作品を見ました。まずはダイワマンのCM群。ダイワハウスさんとの仕事は10年以上も続いているそうです。そして、今では、毎回ダイワハウスさんから「(TUGBOATの)岡さん、多田さんにお任せしますから。」と言われるそうです。そこまで言われると、逆に「責任感が出て来て」あるギリギリのラインに着地させることを考えながら、破綻をしないような広告作りを心がけているとおっしゃっていました。

出演者の役所広司さんの話になって、多田さんは撮影現場で「役者さんが演技をするのを見るのが好き!」なんだそうです。役者が現場に入って芝居をすると、その瞬間が光り輝くと。まさに、多田さんが学生時代にあこがれた「映画監督」の現場のようなのではないでしょうか?

続いて、サッポロ黒ラベルの「大人エレベーター」のシリーズ。かっこいい大人の男たちを俳優の妻夫木聡さんが訪ねるというシリーズです。この日はリリー・フランキーさんを訪ねるというものと、北野武さんを訪ねるというものを見ました。多田さんは男同士でつるんで飲んだりするのがとても好きだそうで、そうした多田さんの男らしい面がとても良く出ているキャンペーンでした。
「大人エレベーター」に出演されていた、リリー・フランキーさんの著書「東京タワー」を読んだ多田さんは、その著書の中のある部分についてのお話をされました。リリーさんの原稿を取りに来た編集者の女性が、原稿がまだできていないということで、リリーさんの家で待つことになったそうです。その時、リリーさんのお母さんが編集者の方にご飯を作って出したそうです。
結局、編集者の女性はその食事にまったく手をつけずに原稿をもらって帰ったそうです。それを見たリリーさんは、「平らげなくてもいい。君のために母が作った料理に、箸の一つもつけることができないのか」と言ったことを書いていたそうです。それを読んで多田さんは、自分だったらまず母に「飯なんて作らなくていいよ」と言うだろうと思ったそうです。相手が迷惑だと思うだろうと。しかしリリーさんはそんなことよりも、息子のために来てくれたお客さんに対する母の感謝の気持ちを優先した、その態度に感動したそうです。母への愛情を素直に語れるリリー・フランキーさんは凄い、とおっしゃっていたのが妙に印象に残っています。
多田さんは、そのリリー・フランキーさんと深津絵里さんが夫婦を演じる、ダイワハウスの「ここで一緒に」のキャンペーンも手掛けられています。その夫役は「東京タワー」を読んで感じたリリー・フランキー像なんだそうです。

その後、多田さんと中島信也のやった仕事がいくつか流されます。ますはゼロックスの「ピアノ」のCM。
最初、中島信也は、多田さんの字コンテを見てびっくりしたそうです。100台のピアノが並べられている。1台のピアノには1音だけの鍵盤があり、それらが同時に演奏され音楽を奏でる、というコンテ。多田さんは、これは実際には絵コンテなど描かなくて、いろいろな素材を現場で撮ってまとめるのかな?と最初、思っていたそうです!それを中島信也は演出コンテにしていきました。そして、その精密に描かれた演出コンテ通りのものが実際のTVCMになったと驚かれていました。僕も、実際の演出コンテを見たことがあるのですが、この演出コンテは、まるで音楽のスコアのようなものでした。一音につき1カットなどの絵がつながり音楽を作っていくのだという、熟練のプロが作ったTVCMの完璧な設計図がそこにありました。

その後、中島信也とのドコモシリーズの番外編みたいなマニアックなCM群を見ました。
ドコモの渡辺謙のシリーズは上田義彦さんの回で見たので別のものを中島信也は用意していたのです。

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その後、ダイワハウスの「ここで一緒に」のしみじみとしたシリーズを見たあと、多田さんが言われたこと。いつもは、ハードロックを歌っていても、時にはバラードも歌ってみたいじゃないですか。TVCMで「激しさ」や「強さ」を追求していたものから、泣いたりいい気持ちになったりするものを作ってみたいということで、こうしたシリーズが生まれていったそうです。
その後、トヨタのH.H.のキャンペーンを見ました。CMの中の哲学的な言葉とともに、車というものの持つロマンが表現された作品となりました。

トークショウの時間も少しオーバーし、最後に今年の多田さんの代表作のひとつ、PEPSIのシリーズを見ました。比較広告のCMから始まって「MOMOTARO」のシリーズ。あれを放送などで見た人は、さぞや驚いたのではないでしょうか?圧倒的なスケール感と定着の素晴らしさに業界関係者も本当に驚いています。小栗旬さんを桃太郎に据え「forever challenge」という言葉が!これもある種の比較広告、大きいものに向けて挑戦し続けるという多田さんらしい、とても男らしいキャンペーンです!次回作がとても楽しみ。
本作のディレクターは中島信也に師事したお弟子さんの一人、井口弘一さんです。

こうしたものが出来ると、今では広告主も一緒にクリエイターたちと喜んでくれるようになった、と嬉しそうに多田さんは語っておられました。 さらには、
「アウトプットをいかに良くしていくのか?」
という、もう一つの大切なものがあると聞き、制作会社にいる私たちは、光栄に思いつつ、身が引き締まる思いも感じました。

数年前、多田さんは自分のCM作りのモノサシが、良くわからなくなった時があったそうです。その時にCMの神様と言われる小田桐昭さんに相談に行かれたそうです。

「小田桐さん、さらに新しいものはどうしたらできるのでしょうか?」

小田桐さんは多田さんにおっしゃいました。

「クライアントと一緒にたくらむことによって新しいことが生まれるのです」と。

これって、桃太郎が宮本武蔵に剣の修業を受けるみたいなものじゃないか?と勝手に思ってしまいました! さらに最後の最後で、いい広告は、この国をよりよくするのでは?みたいな壮大な話をもって、今年の「信也のまんま3」の最終夜は終わりました。

終了後の、打ち上げ会場で多田さんが
「このイベントむちゃむちゃ面白いじゃん!」

と笑いながら言っていただいたことが、とても印象に残っています。


【 『信也のまんま3』レポート 】映像編集や広告制作にご興味のあるみなさま
映像テクノアカデミアの映像・広告クリエイター科では、CMプランナーや映像編集のプロを目指す方のために、基礎から応用レベルまで現役のクリエイターが丁寧に指導いたします。また、東北新社グループでのアルバイトのご案内や、就職サポートも充実。実際の制作現場でCMプランナーや映像編集が学べます。