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テクノアカデミア同期生が、今の私を作ってくれた!

櫻田美樹 映像翻訳者/2004年3月 映像翻訳科・映画翻訳専科卒業


2004年3月 映像翻訳科・映画翻訳専科卒業
【作品歴】
[放送] 「おしゃれ泥棒2」「ゴシップガール シーズン1&2」 「サダム 野望の帝国 2&4話」 「ゲイリー・クーパー 栄光と伝説」 「ヘンデルの生涯」「マーサ・スチュワート 裁かれたカリスマ」
[ビデオ・DVD] 「大草原の小さな家 シーズン8」「ザ・ホスピタル」「ターミネーター サルベーション ザ・マニシマシリーズ」 「ストーリー・オブ・スーパーマン スーパーマンの全て」 「ウィ・ジャム・エコノ:ストーリー・オブ・ミニットメン」 「MLB ワールドシリーズ 栄光の100年史」 「ブラッド・ヘブン」「ビリーバーズ」
[特典・コメンタリー]「くもりときどきミートボール」「2012」「パッセンジャーズ」「スラムドッグ$ミリオネア」「セント・エルモス・ファイアー」「僕らのミライへ逆回転」「ザ・バンク 堕ちた巨像」 「インクレディブル・ハルク」「シンバッド七回目の航海」「ダ・ヴィンチ・コード」 「ブレードランナー ファイナル・カット」「パイレーツ・オブ・カリビアン:ワールド・エンド:デッドマンズ・チェスト:呪われた海賊たち」

映像翻訳科2004年3月卒業生にとって、この年は当たり年でした。例年と比べて、映像翻訳者として業界で活躍している卒業生が格段に多いのです。
今回インタビューに登場いただく櫻田さんも、この年の卒業生で、現在活躍中の一人です。
業界に散らばり、あちこちで活躍している”同期の仲間”という、ある意味での”財産”を大切にしながら、どのようにプロの道を歩み始めたか、映像翻訳者になりたかった子供の頃の夢とあわせてあれこれ伺ってみました。
インタビューは、櫻田さんが載っている「通訳翻訳ジャーナル・2010年SPRING」号のインタビュー記事についての質問から始まりました。

「通訳翻訳ジャーナル・2010年
SPRING」号

このような雑誌の記事が最初で、アカデミアHPのインタビューが後になるというケースははじめてなんです。いつもはホームページ用のインタビュー内容をあれこれ判断して、事務局が雑誌インタビューに推薦するという段取りで・・・・・。この記事で話されている内容は、実際のインタビューを要約した抜粋ですか?もっと色々なことを聞かれましたか?

いえ、聞かれたのはこのくらいですよ。省略されているところはあまりないですね。

じゃ質問が重なる部分もあるかもしれませんが、もっと細かく根ほり葉ほりお聞きいたします(笑)

緊張します(笑)・・・・

ホームページの他の方たちの卒業生インタビューはご覧になりましたか?

今回インタビューに指名されたので見てきました。同期仲間が数人載っています、とっても面白かった!それにホームページが大きくリニューアルされているでしょう、ビックリしました(笑)。同期の様子がよく分かって・・・・みんな頑張っていますね。

他の方たちとインタビュー内容が似てしまうと面白くないので、今回は櫻田さんインタビューを推薦された、鈴木先生(注1)にも加わっていただきたいと思うのですが・・・・・如何ですか?

そんな、アリエナイ!(笑)・・・・お仕事ではいつも注意されてばかりなので・・・・

(鈴木先生に向かって)ワンパターンはなるべく避けたいので、いつでも自由に質問をしてください!

注1 : 鈴木先生は昨年2009年9月まで、東北新社音響字幕制作事業部・演出部字幕課に勤務。10月からは映像翻訳科担当主任としてテクノアカデミアに勤務しています。字幕課では演出・翻訳のほか全ての字幕翻訳作品の発注もしており、したがって櫻田さんにもさまざまさまざまな仕事を発注し、櫻田さんが翻訳した作品の演出もしていました。
HP「講師メッセージ・新しい主任講師が着任しました」参照

あまり難しい質問はしないでください、話すことは苦手なんです(笑)・・・・・
鈴木さんにインタビューされるなんて、聞いていませんでした・・・・ヒド イです(ドキドキ!冷や汗)・・・・

分かりました、でも櫻田さんにとって何が難しいかが私は分からない(大笑)・・・「通訳翻訳ジャーナル」では、櫻田さんは子供の頃から海外ドラマの大ファンで、特にビバヒル(ビバリーヒルズ高校白書)世代だと言われています。どのようなきっかけで、ファンになっていったのですか?

たぶん父親の影響じゃないかって思います。
父が洋画のビデオやLDをたくさん集めていて、それを勝手に見まくっていたんです。それからだんだん海外ドラマにはまって行きました。

その頃だと、ビバヒルのほかにどんなドラマを見ていましたか?v

ズーッと”ビバヒル”(笑)・・・・それに昼メロみたいな帯番組がありました・・・・あれは・・・「サンタ・バーバラ」!それから「メルローズ・プレイス」「フレンズ」「大草原の小さな家」「フルハウス」・・・・

次から次へと出てきますね(笑)、この年代としては何年頃ですか?

90年代、中学生の頃でした。

劇場映画の方は見なかったんですか?

見ましたよ!学校さぼって映画館通いをしていました。「プリティ・イン・ピンク」などの青春映画があったんですけど、あれにハマッテいました(笑)。

ハハハハ、まさに女性の好きそうな映画・・・・想像できないでもな いのですが、こんな貴方がどのようなきっかけで、いつごろ翻訳に惹かれてい ったのでしょう?

いつなのかは、はっきりとは分からないんです。好きで見ていくうちに、どうやら字幕なり吹替なりを誰かが作っているらしい、とはぼんやり気付き始めました。たぶん小学生の終わり頃だと記憶しています。

ちょっと待ってください!さきほどおっしゃっていた色々な作品、中学生時代 の事でしょう?

はい、あれは全盛期の話です。見始めたスタートはもっと早くて、小学生です。
戸田奈津子さんの名前とかが、ビデオにバーン!と書いてあると(笑)、この人が翻訳しているらしいって気付き始めて、「ヘエーッ、こんな仕事があるんだ」と思いました。

と言うことは・・・・先ほどの「プリティ・イン・ピンク」もそうなのですが、映画については、相当早熟ですね。

どうなんでしょう(笑)・・・・。

考えてみてください、そんな子供の頃から翻訳に気づくということは、好きだ ということは勿論ですけど、最初から最後まで注意深く見ていないと、分から ないでしょう・・・・注意深くクレジットまで見ていたんですか?子供でそこ まで見るなんて、普通じゃ考えられない・・・

それが見ていたんです、それも注意深く・・・・いやな子ですね(笑)。とにかく最後の最後まで見ないと、終わった気がしなかったんです。だから色々な翻訳者の名前も知っていました。

そんな見方はお父さんの影響でしょうか?

いえ、私だけの見方!(大笑)

失礼ですが、お父さんのご職業はどのような関係?映画と関係しているとか・・・・

残念ながら、映画とは無関係の普通の実直なサラリーマンです(笑)。ただ映画が好きで、映画だけはよく見ていて、だから父が見ていると自然に私も見てしまう・・・・そんな習慣から、うちは共働きで、私がかぎっ子だったせいもあって、学校から帰ってくると一人でビデオやLDを引っ張り出して見る習慣が付いていったんです。
ですから・・・・あえて影響と言うならば、父がたくさん映像ソフトを持っていたから、映画を見る習慣がついてしまった・・・・・そんなことだと思います。

それではもう少し突っ込んだ質問を・・・・映像翻訳者に気づいて興味を持ち 出し、次に自分もああなりたいと思い出したのは、いつごろでしょう?

海外ドラマに興味を持った中学時代。

少し・・・早すぎやしませんか?(笑)

そうですよね。映像翻訳という仕事の正確な中味は、勿論知らないんですけど、なりたいと思っていたんです。
自分でもよく分からないのですけど、普通の会社員になるっていうイメージが持てなかったんです・・・・
それより一人でこつこつ作業をするとか・・・・考えたりするとかが自分には合っている、得意だ、なんていうことをいつの間にか思っていました。

面白いですね!(笑)ごく一般的に言えば、ご両親ともお勤めだったわけでしょう、子供はその姿を見て、同じような仕事の形になる・・・・というのがよくあるパターンなんですけど、櫻田さんは言わばフリーランサーのような職業をイメージされている・・・・

夢見がちな子供だったんです(笑)・・・・・

アハハハハ・・・・・櫻田さんが映像翻訳に向かった原点のような所がよく分かりました。
それでは次に・・・こんな櫻田さんが、実際に翻訳者を目指したのはどのようなきっかけからだったんですか?
つまり・・・・漠然とした憧れの状態と、実際になろうと考えて行動を起こすことは、別次元のことでしょう・・・・・

きっかけは漠然としていたと思います・・・・・お話しながらだと、はっきりすると思うので、記憶を辿らせてください(笑)・・・・・もう一度くりかえしますと・・・・中学生の頃からあこがれていて、将来きっとなろう と考えてはいました。
だからその関係の雑誌もよく読んでいたんです、例えば”映像翻訳者になるには”とか”映像翻訳者への道”とか・・・・

中学生の時から?(驚き!)

はい、読んでいました。だから無駄に変なことを知っていたんですよ。
例えば翻訳者になるには社会経験は絶対に必要だとか(笑)・・・・あちこちに書いてあるわけです。だとすると就職は絶対にしなくちゃいけない、でも目指すのはそっちではない・・・・すごく悩んだことを覚えています(笑)。
大学は外国語学部でした。でも就職は、”社会経験が必要”ということと、映像翻訳ということが頭の片隅にいつもあったので、映像関係の会社を受けまくりました、でも全滅(笑)・・・・・・

受かっても、直接翻訳の道に結びつくわけではないことは知っていましたか?

知っていました。でも受かったら行っていたと思います。翻訳は年をとってもできるし、同じ業界にいれば、分かることがあるんじゃないかと考えていました。
でも・・・落ちた(笑)・・・・落ちたので悩みました(笑)・・・・

ここら辺なんでしょうか・・・・そうですね、落ちたことで仕事は生活のためと割り切ることができたんです、その代わりちゃんと勉強しようと思い始めました。方向が決まったのはこの時ですね・・・・・仕事は派遣で見つけて翻訳の学校に通おうと決心したんです。まず・・・・1年働いて貯金をしてアカデミアに通い始めた、という順番ですね。

分かりました、納得しました!(笑)それではアカデミアの話に移りたいと思います。
まずテクノアカデミアを選ばれた理由あたりからうかがいましょう。

先ほども言ったように、映像翻訳について雑駁な知識をいろいろ身につけていたので、そんなに簡単にできる仕事じゃないと思っていたんです。他の学校は1年とか、短いと半年コースなんていうのもあります。でもそれで卒業して仕事が出来るのかしら?・・・・と疑問に思っていました。
ですから3年というと本格的なプロの養成という感じがあって、これが選んだ一番大きな理由でした。

入学された生徒さん、皆さんほぼ同じですね。でも逆に言うと、本格的なだけ に、プロになれるかどうかという不安はつきまとっていたのではありませんか?

そうでした、入学者も結構いるし・・・・・初めての授業のとき、おお、この大きなクラス!と思いました(笑)。

ようやくアカデミアにたどりつきました!(笑)

言われてみると、そうですね・・・ようやくですね・・・・道を決めるまでに本当にあれこれ迷った証拠ですね(笑)

とすると、長年の目標を達成するため、相当な競争意識はもたれたのではあり ませんか?

そんなことはあまりなかった・・・・むしろ目標を達成するため、仲間同士勉強しあったり、情報交換しあったりで・・・・・逆に結束を強めたんじゃないでしょうか・・・・・

印象に残っている授業、或いは先生・・・お話いただけませんか?

わかりました。まず、なんと言っても小川先生の”よく訳せたで賞”です。過去の受講生達の訳例集のプリントなんですけど、それを纏めて配ってくれたこと。

鈴木: 今でもあのプリントは、更新されて、配られているようです(笑)。

そうなんですか・・・・懐かしい!人の訳を何パターンも見せてもらい、こんなに色々な考え方が出来るのかって、ほんとに驚きでした。

プリントの内容、もう少し具体的に説明していただけませんか・・・・

一つ一つの台詞について、何年の誰それさんはこう訳した、次の年の誰さんはああ訳した、というプリントです。考え方の多角性というか、多様性・・・・頭の中では分かっていたんですけど、実際に参考例を見せられるとカルチャーショック(笑)・・・・あのペーパー集が一番記憶に残っています。
それから次は・・・・アフレコの実地体験。夏休みの課題だったんですけど、シリーズ一話分全部の吹替翻訳をやりました。チームを幾つかに分けて、コンクールをしたんです。私たちのチームが勝って、その翻訳台本でアフレコをして日本語版を作りました。

あの頃のカリキュラムには、特別授業としてアフレココンクールがありましたね。あの授業に洗礼を受けて、本当の翻訳の面白さに目覚めた方もたくさんいました・・・・

あの全篇翻訳とアフレコはためになったと思います。だって私達のつくった翻訳を役者さんに演技をしてもらい、実際の日本語版になる、あんなワクワクした経験ははじめてでした(笑)。

先生方の印象について・・・・記憶に残っていることはありませんか?

はい・・・・水谷先生が私にはとっても印象的で・・・・バイタリティーがあって、それでいて生徒目線で考えてくれて、なんでも相談にのっていただきました・・・・「呉さん」(注2)にもお付き合いいただいたし(笑)・・・・私にはすごく近い先生でした。

注2 : 「呉さん」とは、テクノアカデミアの近所にある居酒屋の名前です。授業が終わると 受講生有志が講師先生と駆けつけ、盛り上がるお店。正しくは「呉(ウー)さんの厨房」 といいます。この「卒業生インタビュー」コーナーに登場する平田百合子さんのお話にも 出てきます。

次に・・・・印象的というより、ショックを与えられたのは島先生(笑)

?・・・・・・

3年目の専科の授業です。長編映画を全篇翻訳する授業で、島先生は吹替ですよね。
半年かけて1作品翻訳ですけど、最初素材を渡されて、1回目の授業が始まるまでの1ヶ月くらいでしたか・・・・・その間に全部やって来いって言われて、あんなビックリしたことはありませんでした。「プロなら2週間くらいで仕上げるんだ」って、そう言われたら何も言い返せませんよね・・・・それに吹替の翻訳でしょう、それこそガヤなんかも沢山あるし・・・・・必死!(笑)

それは衝撃だ(笑)・・・・当時は確かお勤めでしょう?ということは翻訳作業は夜ですね?

衝撃なんていうレベルじゃない、毎晩深夜までです。死ぬかも知れない!って思いました、ハハハハハ・・・・・でも面白かった、夢中でしたけど・・・・

繰り返しますけど、こうやってアカデミアに通いながら、派遣のお仕事は続けられてたんですよね?

はい、通っていました。

今まで色々お聞きしたアカデミア生活の数々、このような出来事は面白いのだけれど、普通の見方から言えばあくまで仮の姿・・・・・本当の姿は勤めている時の姿になるわけです、でも櫻田さんは逆です(笑)。本来の姿がアカデミア生活、とするとお仕事は辛くはなかったですか?

普通なら辛いんでしょうね(笑)・・・・確かに体力面では辛いこともありました。でも精神的には面白かった・・・・

目標があったから?

そうです。それに仕事も私には結構面白かったですよ、課題であった”社会経験”もいろいろさせてもらったし(笑)・・・・それに帰ったらアカデミアの勉強が待っているし、”かなり”と言っていいほど充実していました。

こんな状態を過ごされて卒業されたわけですけど、最初の仕事はどんな種類の作品でしたか?

ペット・ショップ・ボーイズというグループのライブコメンタリーでした。 自分のライブコンサートを振り返って、楽屋裏も含めて解説をする内容です。

来たのは、卒業してからどのくらい経ってですか?

はじめての仕事は、確か8月頃だったと記憶しています。だから卒業してから大分あとで・・・・トライアルの成績はそんなに良くなかったんじゃないかと思うんです。

鈴木:櫻田さん、認識不足!(笑)
毎年トライアルの成績発表と講評会が6月なんです。だから・・・・2ケ月後に仕事が行ったわけですよね、普通のペースだと思います。 それに、僕の記憶では成績は確かとっても良かったはずです。
それに・・・ですよ、櫻田さんは2年の時の特待生じゃありませんか?隠すことないじゃないですか・・・・

隠してはいません(笑)、2年の時なんで、3年のトライアルとは違いますから・・・・

ちょっと待ってください、特待生の話はさておき、話をそらすわけではないのですけど・・・・よくよく考えると、当時の字幕作品の発注者は鈴木先生のはずですが・・・・

鈴木:・・・・そうでした・・・ヨネ(大笑)!!! 記憶では、なぜ音楽物を発注したかは忘れてしまいました、でも成績はとても良かった・・・・だから、発注したことだけは覚えています。

今までいろいろな作品をやられて来たと思うのですが、一番記憶に残っている作品は、どのようなものですか?

やっぱり”ビバヒル世代”としては「ゴシップガール」なんですけど、それは置いといて(笑)・・・・・
偶然だったんですけど、一つ面白い経験をしています。「ウイ・ジャコム・エコノ:ストーリー・オブ・ミニットメン」というDVD用の音楽ドキュメンタリーを翻訳した時、イべントがらみだったんだと思います、とつぜんその作品が劇場上映されることになったんです。あわてて見に行きました、自分のやった作品をスクリーンで見る感激、良いもんだとつくづく思いました。それにギャグの場面で笑いが起きたときは、「ホッと安心!!」でした(笑)。

それと、これは具体的な作品についてではないんですけど、記憶に残っている以上のことで、私の財産について、一つ話しをさせてください(真面目な顔!)・・・・・
卒業してから2本目の作品が「月を追いかけて」のコメンタリーでした。この演出が同期の加藤さん(注3)だったんです。これがどんなに助かったか・・・・細かいことに至るまで何でも聞けるし、質問できる、フィードバックもいろいろしていただきました。駆け出しの新人には一番力強い助っ人でした。そのあとも「トリコロールに燃えて」「コラテラル」「アルフィー」などなど・・・・本当に彼女には助けていただきました。
同期にはまだ他にも助けてもらっているんです、
加藤さんじゃないんですけど、別の仲間には制作会社まで紹介をしてもらっています。

注3 : 桜田さんの同期生、加藤真由美さんのこと。この「卒業生インタビュー」コーナーのNo.1に登場している東北新社・翻訳室の翻訳者です。ここで語られている内容は、加藤さんが当時字幕課で字幕演出をやっており、櫻田さん翻訳の演出を手がけ、さまざまなフィードバックをしたということです。

!!!(ビックリ!)・・・・

「ゴシップガール」に出会ったのも、このような経路をたどってなんです。

じゃ今の櫻田さんがあるのは、同期のおかげ・・・・・(笑)

完全にそうです(笑)。こんな例はまだあります。
「サダム 野望の帝国」というミニシリーズがあったんです、納期の関係だと思うんですけど、同期と半分ずつの協同翻訳でやりました。これも私にとって、どんなに勉強になり、助けになったか・・・・
翻訳というのは個人作業だというイメージがありますよね、でもこのときは完全に共同作業で・・・・・もっと言うならば、自己アピールや営業の苦手な私が、こうやって仕事を続けていられるのは、肝心なところで同期の仲間に助けてもらっているからだと思っているんです、それに仲間達の活躍が私自身の励みにもなっています。

アカデミアの効用がこんなところにもあるとは、思ってもいませんでした(笑)・・・・

鈴木: 私なんかも立場上、いろいろ相談は受けるんですけど、やっぱり最後まで行くと、どうしても話は表面的にならざるを得ない・・・・しようがないか!って半分はあきらめているんですけど、こんなところで仲間同士がつながっているのを聞くと、やっぱりうれしいですね。

でもこのような事は、学校や先生方があれこれ口出すことでもなく、単純にいい仲間にめぐまれたということでしかないでしょう・・・・・勿論こんなグループが増えれば良いとは思います! さて・・・最後の質問をさせてください。これからどんなタイプの翻訳者になっていきたいですか?

得意分野がないのでつらい質問です(笑)・・・・・どう答えたら良いのでしょう・・・・
タイプの話ではなくて、しかも当たり前の話なんですけど、翻訳って答えは一つではなく、アプローチの方法は色々ですよね、色々な解答がある・・・・すると私は一つの答えにこだわらない、一つの翻訳が出来たとしても、もっといい方法があるかもしれない・・・・だから、もっと、もっと、ということだけにはこだわっていきたいと考えています。

でも、そのような姿勢を翻訳にあらわしていくには難しいですよね。

あらわすのは、翻訳そのものにではなく、姿勢です。
つまり・・・・難しいところ、もっといい回答がありそうな箇所・・・・「注」とか「申し送り」は必ずつける・・・・演出の手はなるべく煩わさない・・・・すこしえらそうですけど(笑)・・・・・

鈴木:そうなんです、櫻田さんの申し送りは、いい例として授業でも使わせてもらっています。
演出をしていても、安心できるんですよ・・・・

お話を伺っていて、なにか・・・・理想的な卒業生たちを持てた、という気がしています(笑)

インタビューのほぼ終わり近くに飛び出してきた、数々の同期生に助けられたエピソード、それは私たちにとっては本当に驚きでした。
クラスの中で色々な仲良しグループが形成され、卒業してからも情報交換やお互いを切磋琢磨する、うかつと言えば、うかつなのですが、これはよくよく考えてみると当たり前にありそうなことでした。
しかしながら、櫻田さんがこのような関係から、仕事の内容が向上し、仕事の範囲が広がっていることを聞くにつけ、事務局サイドとしてはたいへんな感動に包まれたのです。

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