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生徒だったから 生徒の弱点が理解できる

尾形由美 映像翻訳者/1997年3月 映像翻訳科・映像翻訳専科卒業


1997年3月 映像翻訳科・映像翻訳専科卒業 【作品歴】
[劇場](字幕作品)
「親愛なるきみへ」「キングダム 見えざる敵」「ONE TAKE ONLY」「非日常的な彼女」
[放送]
(吹替作品)「ONE TREE HILL」シーズン1~4 「スター・ウォーズ クローン・ウォーズ」シーズン4・7話分翻訳「サウスパーク」シーズン8 「アガサ・クリスティーのミス・マープル」シーズン1
「犯罪捜査官ネイビーファイル」「ヴェロニカ・マーズ」(字幕も翻訳)「ザ・ホワイトハウス」(字幕も翻訳)
「華麗なる遺産」(日本語台本) 
(字幕作品)「ONE TREE HILL」シーズン5~6 「サウスパーク」シーズン9  [ビデオ・DVD]
(吹替作品)「黄昏」「ディセンバー・ボーイズ」(字幕も翻訳)「バットマン ゴッサム・ナイト」(字幕も翻訳)
(字幕作品)「ザ・スナイパー」「ダメージ」シーズン3

今回、インタビューを引き受けていただいたのは「映像翻訳科」一期生の尾形由美さん。尾形さんは現在映像翻訳者として活躍される一方で、アカデミアの講師として研修クラス、映画翻訳専科を受け持たれています。そのために、本来なら「講師メッセージ」などのコーナーに出ていただくほうが、適しているのでしょう。しかしながら、あえてこのコーナーに登場願ったのは、生徒として受けた授業内容、開校当時のカリキュラムなどを振り返りながら、それらがプロになってからの仕事にどう生かされたかを語っていただき、これからのカリキュラムの参考にしていきたいとの考えからでした。その意図は成功したかどうか?これから映像翻訳者を目指そうという方は必見です。

尾形さんは一期生ですよね、念のために確認します(笑)

そうです、間違いはありません(笑)

今回インタビューを受けていただいたのは、昔は生徒であったわけですから、その時の経験をふまえて、つまり生徒であった時の気持ち或いは考えなどを考慮に入れながら、よりよきカリキュラムの形をさぐって行きたいと考えたからなんです

そんな・・・・大上段に構えないでください。硬くなってお話が出来なくなります。ほかの卒業生インタビューと同じ柔らかさでいっていただきたいのですけど(笑)・・・・

思わず硬くなってしまいました(笑)、学校の経営に関することだとどうし
ても身構えてしまいます。じゃゆっくりと柔らかく進めるつもりで・・・・開校当時の様子からでもお話していただけませんか。

そうですね・・・・いろいろあるんですけど、まず一番大きなことは、当時は入学試験があったことでしょうか。筆記と面接、結構難しかったですよ。代わりに卒業の時のトライアル試験がありませんでした。たぶん入学試験で、生徒たちの実力を学校側はおおよそつかんでいたんじゃないでしょうか。ですから在学中から、実力と時間に余裕のある人にはどんどんと仕事がいっていたと記憶しています。今のようにトライアルでいい成績をとって、それから仕事を獲得してゆくというシステムではありませんでした。

そうらしいですね。そのことを考えると本当に大きなチェンジが途中で行われていたんだと思います。180度方向がちがってしまったという感じでしょうか・・・・

だいたいから、初年度はものすごく立派な入学式が行われました。

日本青年館でですよね。

私は勤めていたので、午後半休をとって出席した記憶があります。あんな豪華な式は初めてで、壇上には有名筋の講師がズラ―ッと並んでいるし、すごい学校に入った!って驚きました。

当時の翻訳科生は何人くらいだったんでしょう?

たしか30人くらい、教室が全部埋まっているような状態でしたから。

当時も2年で卒業ですけど、たしか週2回の授業だと聞いております。

そうでした。ですから働いている社会人にとっては、毎回出される課題、宿題がきつくて、かなりハードなカリキュラムでした。

お勤めは、入学してからもずっと続けられていたんですか?

続けていました。二足のわらじを履き続けました、辛かったけど(笑)。

アカデミアは社会人の方がほとんどですから、辛いのは当たり前です(大笑)。それにしてもどうしてアカデミアを選ばれたのでしょう?東北新社はご存知でしたか?

知っていましたよ!それでなければ、アカデミアには来ませんでした。

生徒の皆さんがよく言うように、仕事にめぐり合えるチャンスが圧倒的にあるからと言うんじゃないでしょうね?(笑)

勿論、そう言うんです(笑)。

(ニヤニヤ)・・・・

実はアカデミアの前に、別の学校に通っていたんです。そのとき、一緒だった友達が「ケイコとマナブ」で、東北新社が学校を始めることを見つけてきたのがきっかけでした。ですから少しは業界のことが分かっていて、仕事をゲットするには絶対に東北新社の直営校のほうが有利だと想像できました。

今でも他の学校の卒業生とか、尾形さんのように途中からの転校生とかは多くいるようです。結果論ですけど、アカデミアへの中途入学は尾形さんたちが先鞭をつけたということになりますね。お友達も一緒に移ったんですか?

そうです、移りました。西田直子さん(注1)と言って、今は脚本家です。

ちょっと待ってください。映像翻訳科の卒業生が脚本家?本当ですか?

ご存知じゃないですか?開校当時は「脚本実習」というカリキュラムも組まれていました。講師が荒井晴彦さん(注2)。西田さんはその荒井先生に見出されて、翻訳から志望を変えて脚本家になってしまった人です。

注1:西田直子-脚本家 
作品歴:たぶらかし~代行女優業・マキ~ (2012年)  半次郎 (2010年) 名前のない女たち (2010年)
マリッジリング (2007年)  ホワイトルーム ~重松清「愛妻日記」より~ (2006年) 

注2 :荒井晴彦-脚本家
作品歴: 新宿乱れ街 いくまで待って(1977年) 神様のくれた赤ん坊(1978年)
赫い髪の女(1979年)嗚呼!おんなたち 猥歌(1981年)ひと夏の体験 青い珊瑚礁(1981年)遠雷(1981年)
キャバレー日記(1982年)時代屋の女房(1983年) 探偵物語(1983年) 湯殿山麓呪い村(1984年)
Wの悲劇(1984年) ひとひらの雪(1985年) ヴァイブレータ(2003年) 大鹿村騒動記(2011年)

またとんでもない話が飛び出してきました。翻訳家志望が脚本家・・・・
いろんな人材が出ていたんですね(笑)

今になって、なるほどと納得は出来るんですけど、当時は翻訳コースでどうしてこんな授業があるのか、イマイチ納得が出来ませんでした。英文の読解とは関係ないんですから(笑)。
授業は、毎回ある題目が与えられて、それを主題にしたドラマの脚本を書き上げること、つまり台詞を書くことの訓練ですね。たとえば男女の別れのシーンが題目だとすると、それを短い脚本にすること。西田さんは文章、つまり台詞が抜群にうまくて荒井さんに見込まれたんだと思います。

なるほど、様子がわかってきました。

彼女はたしか・・・・当時はアルバイトをしながらアカデミアに通っていたと記憶しています。ですから翻訳室とかいろいろなところで声をかけられていました。荒井さんにもそんな形で声をかけられ、それより見込まれたといったほうがいいかな・・・・アイディア提供とか、文章の下書きとかをやりながら脚本の道に進んだんです。

翻訳者になるために、転校までしてアカデミアに来たのに脚本家とは!彼女は迷わなかったんですか?

迷っていました。でも彼女は翻訳よりオリジナルの創作力の方が優れていたと思います。その能力を発見できたから、いや発見されたのかもしれないんですけど・・・・いずれにせよその能力があったから、脚本家への転進に決心がついたんだと思います。
最近も、確か日本テレビだと思いますけど「たぶらかし~代行女優業マキ~」っていうドラマが放送されていました。あれは、たしか・・・3話分が西田さんの本ですよ。

話が戻りますけど、アカデミアの開校する情報を見つけてきたのは西田さんでしょう。彼女と一緒に入学してきて、尾形さんはそのまま翻訳の道を進んで、西田さんは脚本家。アカデミアに入学しなかったらお二人の能力は眠ったままだったかもしれません。

私は別として・・・・まさにそうなんです、それを考えると不思議な学校ですね(笑)。

それにしても、インタビュー開始から面白いお話が飛び出してきましたので、ついでに脚本の授業についてお聞きします。思うにとっても考えられている授業だと思うんですが、当時の生徒として学ぶ側から見ると映像翻訳科のカリキュラム、如何でしたか?

カリキュラム全体については、こうだとはなかなか言えないんですけど・・・・たとえばこんな事がありました。
プロになって始めて翻訳した仕事で、演出の方に私の台詞が好きだと言っていただいた経験があります。嬉しかったんですけど、この”私の台詞”ってなんだろうと考えてしまいました。経験をつんだ今だからこそ分かるのですけど・・・・つまり同じ台詞の翻訳でも、個人によって訳す台詞は違い、その人の個性がかならず現れるということ、その手のことは頭では理解できても、きちんとは、仕事をはじめたばかりの素人にはとうてい分かりません。
もっと言えば、台詞を翻訳するのではなく翻訳するということは台詞を創ることだ、そのことの意味を十全に理解するには経験と時間が必要でした。ましてや生徒としての私が理解することは不可能でした。
この意味で、理解しているつもりでも、後になって考えるとぜんぜん解っていなかったってことが多々ありました。ですから難しいことがとっても多かったような気がするんです。

つまりこういうことでしょうか?カリキュラムはちゃんと作られていたけど、そのカリキュラムが本当に生かされて、身になるようになっていたかどうか、そのような問題ですね。開校したばっかりで、講師のほうも手探り状態だった、それは当然だと思います。教えるべきことは分かっても、生徒がどのくらい理解しているかは、手探りで経験はつんではいない。

たぶん・・・・

翻訳の基本、ノウハウは教わり、たぶん創るという精神も教えられた。けれどもそれがちゃんと生徒の意識の中で納得され、翻訳するときの基本になっていたか、それは別問題だったということですね。

そうです。

そうしますと、卒業生のみなさん、当然プロになって実践の翻訳をするわけです。そのときアカデミアで習ったことの何が生きたのか、それとも初めての経験がほとんどだったのか、そこらへんを教えてください。

難しい質問です。たくさんのことを教えられたことは確かです、でも正直いいますといろいろな事がありすぎて、忘れてしまった方が多いのも確かです(笑)。生徒のときですら、よく先生から「これは教えたでしょう、忘れてしまったの?」とはよく言われましたから(笑)。

・・・・・

なにごともそうなのですけど、翻訳も例にもれず、頭で理解すれば出来るようになるのではなくて、ただただ実践すること、それが出来るようになる近道で、しかも実践で理解が深まると思うんです。
実践をすることによって自分の台詞がどのようなものか、いわば”創る”という事がどのようなことかが、初めてわかると思います。”卵が先か鶏が先か”の理屈になってしまいますけど、実践を繰り返すことで逆にアカデミアで教えられたことの一つ一つがよみがえります。
実践をしなかったら、全てが忘れたままになってしまったんじゃないかと考えるんです。こういう言い方、実も蓋もありませんね!(大笑)。

おっしゃることよく解ります。質問の角度を変えてみます、もう少し具体的に質問させてください。アカデミアで2年間通われて、普通ならフリーということになるのでしょうけど、尾形さんは直接「翻訳室」(注3)に入られたんですよね。

注3:翻訳室-東北新社の日本語版制作部門である音響字幕制作事業部の中の一部署で映像翻訳を専門に行い、ハリウッドを中心とした数々の大作、名作を翻訳し続けている。

いえそうではないんです。卒業したときも勤めは続けていたので、1年間は仕事をしながら翻訳をやっていました。フリーだったんですよ。

卒業してから、仕事はすぐ来ましたか?

当時はCS局が次から次と開局していた時期だったんで、その恩恵を受けました。早かったですよ。テレノベラでベネズエラのシリーズ「イリュージョン~愛の掟」というものすごく長い作品で、100話以上は優にあったと思います。私はシリーズの途中で参加させてもらったんですけど、たしか3人交代でやったと思います。

テレノベラですか・・・・それにしてもその「イリュージョン」が突然来たときどうでしたか、あわてませんでしたか?授業で鍛えていたから、スピードは別としてそんなに困らなかった?

プロになったばかりの初心者向きの作品でした。たとえば今のハリウッド映画によくある、アドリブ満載の、言いよどみの演技が多い作品ではなくて、芝居が型にはまったものだったので、台詞は比較的作りやすかったと思います。
つまり・・・・これも韓国ドラマなんかを想像していただくと解ると思いますが、ドラマがパターンにはまっていて、ですから台詞もパターンの台詞が続く・・・・台詞に悩んだという記憶はあんまりないんです。いわゆる吹替でいちばん難しいドラマの自然な流れ、自然な台詞で悩んだことはそんなになかったように思います。

乱暴にいえば、あの種のドラマは単純に翻訳をしていけば、それなりに話
の流れは出来てしまう、ということですか?

乱暴に言えばそうです。

とすると、あの種の作品は授業で習った基本的なことで、出来たということですか?乱暴に言えばですよ(笑)・・・・・

乱暴に言えば、そう思います(笑)。でも誤解しないでいただきたいのは、このような判断は今までいろいろな経験をして、その経験から振り返ってみたときの話だ、ということです。やっている当時は大分悩みましたし、自信も失いました。翻訳止めようと考えていましたから・・・・

ハハハハ 尾形さんがやめようと思った、それホントですか?面白そうなお話がいろいろと出てきますね(笑)。詳しくお話願えませんか。

そんなに悩まないで作っていた台詞を、演出の方と、なんと声優さんに真っ赤になるまで直されていたんです。それも昔からあこがれていた声優さんにです。翻訳はしたけど、台詞になっていない、新人の翻訳にはありがちのことなんですけど、そんなこと、新人にはとうていわかりません。自信がなくなるのは当然のことです。

それともう一つあって・・・・「イリュージョン」のシリーズ、最初は翻訳のスケジュールを2週間いただいていたんですけど、途中からは1週間になってしまいました。60分を1週間というのは、あのシリーズは台詞が多いだけに新人には負担で、仕事との二股は無理じゃないかって考え始めていたんです。
そんな時、「イリュージョン」の制作さんに、映像翻訳のフリーはきついのかどうか聞いた事がありました。もちろん返ってくる答えは「きついですよ!」でした。これを私は、自分には翻訳は向いてなくて評価されていないんだと、受け取ったんです。だからもう落ち込んで・・・・

普通考えると楽ですよ、誰にも出来ますよ!とはあんまり言わない(当然デス!)・・・・

アハハハハ そうですよね。それにその制作さんの話は一般的な答えで、私の能力がどうだということではない筈です。でも落ち込んでいた私は、私のことと受け取りました。

翻訳が今も続いているってことは、落ち込んでいても諦めきれなかったんですね?

偶然のなせるわざです。ちょうどそのとき、翻訳室に欠員が出来たからよかったら入らないかというお誘いを受けたんです。同期と一緒に字幕課の試験を受けていましたので、そのためだと思います。

びっくりしたでしょう、やった!と思ったでしょう?

それより、どう考えて良いのかわからなくなったことの方が大きかったですよ。だって続けるべきか、続けざるべきかずーっと悩んでいて、しかも能力は無いと思っていましたから。

そうしますとね、先輩や講師方、だれでも良いんですけど、新人はこんなこと誰もが通る当たり前の事で、くじける方が大問題だと忠告されていたら、勇気百倍になっていたということですか?

そうですよ!その通りです!(大笑)つまり翻訳のほんとうの難しさはまだ解っておらず、ほんの初歩のところで躓いていたんです。

これも言ってみれば、授業じゃ分からないことの一つですね。

そういえるんですけど、でもこんなこと授業中に話す機会もないですよね。飲み会の席で話題になるとか・・・・そっちの方面の話題じゃないでしょうか。

なるほどね・・・・飲み会ですか(ニヤニヤ)。一期生の雰囲気はどうだったんでしょう、生徒同士飲み会に行ったとか・・・・

それはありませんでした。やっぱり盛んになったのは、島さん(注4)が翻訳科の担当になってからですね。大きな存在でしたから。

注4:島伸三:映像翻訳者。「映像翻訳科」元担当主任。2005年逝去されました。

ところで、尾形さんは本来は吹替と字幕どちらが好きなんでしょう?今までは吹替の苦労話を聞かせていただいたんですけど・・・・吹替ですか?

「イリュージョン」をやるまでは、だんぜん字幕だったんです。
でも「イリュージョン」で変わってしまいました。あのドラマはテレノベラというぐらいですから、人間関係どろどろで複雑怪奇な世界です(笑)。メインの女性がお金持ち、でも相手の青年が貧しい身分の実らない男女のお話です。いかにもありそうでしょう(笑)。演技も台詞もやたらと大袈裟で、私が翻訳をした最初の話数は母親が夫を殺すシーンでした。殺すときにどうして殺さなければならないのかそのわけを、母親が延々と言うんです。普通なら言わないで黙って殺しますよね、それが喋りまくるんです。しかも3ページくらいにわたって、そしてあげくの果てに毒を飲ませる・・・・
プロになって始めての翻訳ですよ。いくら新前だとは言っても、形になった台詞を書かなければならない、どうしてこんな作品にあたるのか呪った記憶があります(笑)。でもその不完全な台詞でも、ものすごい演技を幸田直子さん(注5)という女優さんがものの見事にやってくれたんです。感動モノの、鳥肌モノ、それで目覚めてしまいました。
アフレコは普通は1~2回のテストで本番録音をするんですけど、あまりにも長い台詞が続くので、幸田さんはいわばテスト本番、テストがそのまま本番で、涙を浮かべながらの熱演でした。最初の翻訳でなんという役者さんに出会えたのだろう、こんな幸運はめったにあるもんじゃない、つくづくそう思いました。

注5:幸田直子:女優 
出演作品 ドラマ-「峠の群像」「徳川家康」「翔ぶが如く」「太陽にほえろ」「3年B組金八先生」「特捜最前線」「暴れん坊将軍」「家政婦は見た」
アニメーション-「逆転一発マン」「ゴールドライタン」「陽だまりの樹」「金田一少年の事件簿」「名探偵コナン」
外画-「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」「ナニー・マクフィーの魔法のステッキ」「プレタポルテ」「スピンシティ」「メルローズ・プレイス」「プリティウーマン」「エイリアン」他多数

いろいろつらい思いもされたようですけど、いい思いもされているんじゃないですか(ニコニコ)。

翻訳を始めたばかりの皆さんは誰でもそうなんでしょうけど、劇場で公開される字幕翻訳をいつかはやってみたいと、私もアカデミアに来たんですけど、吹替もこんなに面白いんだと経験したのはあの作品と、あの女優さんのおかげでした。

授業で「アフレコ実習」があるでしょう。あれではアフレコの面白さまでは行かないということですね。

面白い授業ではあると思います。でも感動モノ鳥肌モノまでではないでしょう。

それでは、字幕の方の仕事はいつごろから始められたんですか?

少し遅くて、入社して翻訳室に入ってからです。もちろん、完成した原稿は先輩方にいろいろ突っつかれましたけど。

字幕の授業で記憶に残っていること、ありませんか?

一番覚えているのは専科の授業です。授業内容は今と同じで、1作品の全篇翻訳を小寺さんに講義してもらいました。中でも生徒にとって問題だったのはハコ切り。切るタイミングがまるきり掴めなかったことです。どうしても、台詞が息をつくブレスで切ってしまいがちで、字幕の切りすぎだとよく言われました。それは佐藤一公先生(注6)からも言われたくらいですから分からなかったんですね・・・・
ですから逆に教える立場にたつと、生徒の苦手なところはよく理解できます。ハコ切が出来るようになると、字幕翻訳の半分以上は可能になったと言えるのではないでしょうか。

注6:佐藤一公 映像翻訳者 元映像翻訳科講師・総監修
代表作(吹替)「警部マクロード」「アニー・ホール」「ゴッドファーザー」「ダークマン」「ビッグ・フィッシュ」(字幕)「駅馬車」「ゲッタウエイ」「ペイルライダー」「ゴッドファーザー」「ドノバン珊瑚礁」

やっぱりこれも訓練ですね。

でしょうね。

お聞きしていて思うのは、吹替も字幕も基本として習ったことに、実践という訓練がつけ加わらないと、やはりプロとしては難しいということです。限りのあるカリキュラムの時間の中で、なにかためになる方法思いつきませんか?

そんな方法あるわけ無いでしょう(笑)、訓練しかないんです。「習うより慣れよ!」自分一人で出来ることもあるはずですから・・・・それより根本的なこと、最近気になっていることがあるんです。

?・・・

最近の生徒さん、皆さんあんまり映画を観ていない、映画がそんなに好きなんじゃないのではと思うケースがよくあります。観るべき基本的な作品すらも観ていない、翻訳者になるための基本的素養を欠いているとしか思えません。もちろん全員がそうではないんですけど、その様な生徒が増えてきていることは確かだと思います。
私も振り返ると、映画が”好きで好きで”でこの道に入ってきたんですけど、今の若い人たちに映画が好きというのはあんまり見当たらない、たぶん娯楽のツールがたくさんあって、映画がその中の一つでしかなくなったからかも知れないんですけど・・・・

少しお話がずれるかも知れないんですが、講師の岩本さん(注7)も同じようなことを言っていました。こちらが話したことに反応が少ないって嘆いていました。

注7:岩本令 映像翻訳者 映像翻訳科講師
代表作:「アーノルド坊やは人気者」「フルハウス」「ビバリーヒルズ・コップ」「フォレスト・ガンプ/一期一会」「マディソン郡の橋」

反応のないことの原因ですが、想像するに読解力がなくなってきている、ストーリーが分かっていないんじゃないかと考えています。ストーリーが理解できないと訳すことは出来ないんですけど、この基本に理解がいっていないんです。
たとえば最近の作品はスピード感のあるものが多いでしょう、そうすると細部がどんどん省略される、或いは伏線がある、その省略された部分や伏線を想像しないととても訳せません。その部分を説明するとようやく納得して「ああそうか」と理解するようです。こんな状態で翻訳をするとなると、ある意味驚きです。

難しさの胸突き八丁に来ました(笑)・・・・

さきほど”何かためになる方法”は?と言われましたよね。思うのですけど、何か自発的にせざるを得ないような時間があれば、つまりもっと自分たちで考えたり、自発的に意見を戦わせられる授業があると、自らが考えるとか工夫をするなどのことをいやでもせざるをえません。
たぶん授業はもっと活発になり、その種の時間をもっと作ったら如何でしょう?この積み重ねが、やがては読解力、翻訳力に結びつくと考えるのですが・・・・・

尾形さん、たしかコラボ授業(注8)を担当されていますよね。

注8:コラボ授業
「映像翻訳科」&「声優科」合同特別授業。グループに別れ「フレンズ」の1話の日本語吹替版を作る。

そう、あの種の授業です。あれは私たちの時代と比べると夢のような授業です。自分たちで台詞を考えなければならない、その翻訳が声優に演じられる、演じられれば良し悪しが一目瞭然となります。実践の訓練にはドンピシャ!の授業ですね(笑)。
それにグループに分かれているから、それぞれの翻訳に個性が出てきてとっても面白いんじゃないかしら・・・生徒さんたち、他のグループの翻訳をみて参考になっていると思います。

グループで翻訳の出来、不出来の差はありますか?

私は2クラスの担当だったんですけど、差は相当ありました。でもかなり赤を入れましたから、差は分からなくなくなっていると思います。
それより私が感じた大事なことは、原稿の内容より、各グループ、参加者の熱意の方が大事なような気がしました。翻訳者同士意見を言い合う、次に声優と台詞の意見を言い合う、ひいては演技についてのイメージを言い合う、そうなると単なる翻訳ではなくて、自分のオリジナリティ、それ自体が大事になってくると思いました。

このような事が理解されたところで、たとえば荒井さんの脚本の授業の意味が分かるんでしょうね。

そうでしょう。あの種の授業、また企画されたらどうですか?

事務局と相談してみます(笑)。
最後に、どの卒業生の方にもお聞きしている定例の質問をさせてください。映像翻訳者の道に進もうとしたそのきっかけです、尾形さんの場合それは何だったんですか?

まずは、何と言っても海外のテレビドラマにのめりこんだこと、次に学生時代は「ぴあ」を真っ赤にしながら都内あちこちで映画を見まくったこと、それが第一の理由です。

テレビドラマというと、尾形さんのころはどんな作品があったのでしょう?

「バイオニック・ジェミー」「チャーリーズ・エンジェル」「奥さまは魔女」「大草原の小さな家」・・・・どれも定番ですよね(笑)。

翻訳は最初の3作品が木原さん、「大草原」が森さん。一期生だと木原さんには教わったでしょう。

幸せでしたね、それだけでもアカデミアに入った甲斐がありました(笑)。

でも勤めを辞めてまで、翻訳の道に入ろうとされたきっかけ、何かあったんですか?

特別なきっかけは無いんです。仕事は外資で決まりきった内容で楽でした。それだからこそこんなことは長くは続かない、手に決まった職もなく逆に不安を抱えていました。いつまでも出来る自分の特技、自分にだけしか出来ないものは何だろうと考え始めたのが、この業界に足を踏み入れたきっかけです。。

その不安はかなり切実なものだったんですか?

切羽詰まってはいなかったんですけど、でも何とかしなくてはといつも考えていました。

そうしますと、翻訳の学校に行きだしたのは何歳くらいの頃からだったんでしょう?

いちばん聞かれたくない質問です(笑)・・・・・言わなければいけませんか?

・・・・・

30歳中頃デス。最初はお試しのつもりが、翻訳はもともと好きだったんで、やり始めると面白くて抜け出せなくなった、というのが正直なところでした。

今日は長い間、貴重なお時間をさいていただき有難うございました。講師
のほうは、いつまでも続けていただけることを、切にお願いいたします(笑)。

尾形さんには映像翻訳科の講師を、すでに13年に亘って担当していただいています。そのためもあるかもしれないのですが、今回のインタビューは本来の映像翻訳者としてというより、映像翻訳科講師としてのお話が圧倒的に多くなってしまいました。
翻訳を教えるということの基本的な難しさ、それは実践が出来るようになるには基本的事柄を理解しなくてはならない、逆に基本的事柄は実践を行うことでしか100%理解できない、言い換えれば卵が先か鶏が先かというなんとも厄介な困難が横たわっているということです。この困難の克服には、カリキュラム以前の問題として、絶えず自らが基本理解と実践を交互に繰り返す事が必要なのでしょう。
そこには映画を観る、楽しむという基礎的素養の涵養が含まれていることは言うまでもありません。

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