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面白い!台本作りに悪戦苦闘中

赤松朋美 映像翻訳者/2010年3月 映像翻訳科・映画翻訳専科卒業


2010年3月 映像翻訳科・映画翻訳専科卒業
【作品歴】
[放送]
「9.11アメリカ陰謀説(前後編)」「リチャード・ニクソン(前後編)」
「大統領専用機:エアーフォースワン」「テロ組織アブサヤフの壊滅計画(前後編)」
「孫子の兵法書(前後編)」「タイタニックの真実 100年目の新発見 3D」
シリーズ作品:
「アメリカ:真実の物語(全12話)」「デイブとコディのサバイバル」「逃亡犯の告白」
「世界の馬上から」「ショックウエーブ:歴史的衝撃映像(シーズン1&2)」
「神々の戦い」「発掘オーディション!発明家のタマゴを探せ」
「ナチス 狂気のオカルティズム」
韓国ドラマシリーズ作品:
「バーディ・バーディ」 「シティハンター in Seoul」「僕らのイケメン青果店」

[ビデオ・DVD] 
リミッツ・オブ・コントロール」「Zumba フィットネスDVD5」
以上全て吹替・VO作品

今回登場いただく赤松さんは2010年の卒業生、つまり卒業したてのプロになったばかりの方です。
このようなプロほやほや?の方へのインタビューは、このコーナーNo.14の高野美保子さん以来2度目です。
今回のインタビューの目的、その経緯はこうです。

今年(2012年)のはじめに、プロになったばかりの、つまり卒業したばかりの映像翻訳者3人を特別講師としてお招きして行ったイべント「ようこそ先輩!」、赤松さんはその3人の特別講師の中の一人でした。このイべントは、プロになったばかりの卒業生は今どのような仕事をしているかを語る、というものでした。
イべント参加の在校生は、3人の講師たちの現在の生活状態、翻訳への心構えなどはきっと分かったのでしょうが、それ以前のこと、そしてこれからの未来についてもっと知りたいと考えているのではないでしょうか。ならば3人は無理でも、せめて1人だけでも詳しく伺ってみたいと赤松さんに白羽の矢を立てさせていただいたという次第、赤松さんどうかよろしくお願いいたします。

作品歴を拝見しました。順調すぎるほど順調ですね(ニヤニヤ)。

プロになったばかりなので、これが順調なのか、それとももっと忙しくなければいけないのか、よく分からないんです。

そうですね、比較する対象がまだ分からないか・・・・先日の「ようこそ先輩!」ご苦労 様でした。
あのイべントで講師になっていただいた一番の理由は、やっぱり順調に仕事をこなされているからですよ。在校生たちは、やっぱり直近の先輩がどのような仕事をやっているのか、それが一番関心のあるところなんですよ。

それはよく分かります。わたしが同じ立場でしたら、やっぱり一番知りたいことは1年か2年先の卒業生の様子です。

それにしても先日のイベントは、赤松さんの説明が滑らかで、分かりやすくて、とっても好評でした。

カンベンしてください(笑)、緊張して何を喋ったかよく覚えていないんです。

たくさんの人前でも1対1でも良いんですけど、人に説明をする種類のお仕事、何かやられた経験はあるんですか? )

そう言われても・・・・あるのかしら?あえて言うと香港でルート営業をやらされたことはあるんです。そのときは商品のプレゼンなんかもやらないといけなかったんで・・・・ご質問の答えになっていますか?

(ビックリ!)なっていますとも!ハハハハ 生き馬の目を抜く香港での営業ですか、 ご立派です。
ずいぶん鍛えられたでしょう。

ハードでした(笑)。でも英語力も鍛えられました。

なにかとっても面白そうなお話が飛び出してきそうです(ニヤニヤ)。これは後ほどのお楽しみに取っておくとして、順序良く質問をさせてください。経歴書を拝見しますと関西の大学を卒業されていますね。もともとご出身は関西なんですか?

そうです。生まれも育ちも関西で、兵庫県の加古川市という所の出身です。

とすると、立ち入ったことをお聞きするようですけど、学生時代もご自宅から通われ ていた?・・・・・・

そうです。学生時代も親の庇護の元で暮らして、自立はしていませんでした・・・・(笑)

月並みな質問ですが、映像翻訳に興味を持ったきっかけは、どのようなものだったのでしょう?

私の場合は、映画と英語が最初は関係なく並列して好きだったんです。まず映画から説明します・・・・

いいですね、インタビューがスムーズに進みそうです(笑)。

小さい頃から映画というより、海外のテレビドラマに興味を持ち始めたんです。
たとえば「大草原の小さな家」とか・・・・完全にはまったのは「ナイトライダー」でした。このへんからですよ、外国のテレビドラマって、なんてすごいんだろうって思い始めました(ニコニコ)。

お話をしていて、顔が自然にほころんできますね(笑)。それはお幾つの頃でしょ う?

たしか小学校の頃だと思うんですけど・・・・わりとテレビっ子で、観た時期を明確に覚えているのは中学のときの「フルハウス」です。あの作品もはまりました。

赤松さんイイ線いってますネ(笑)。あの作品はアカデミアの講師をやられている方で、翻訳は岩本令先生、演出が木村絵理子先生ですね、確か・・・・いずれどこかの スタジオで会えると思います。

エッ!そうなんですか!私あこがれなんです、あこがれ、あこがれです。

アハハハハ 岩本先生には会いましたよね。とすると木村先生?

そう、よくクレジットで拝見しますので、ぜひお会いしたいですぅ(笑)。

そうとう年季が入っていると思います(笑)。声優希望者にはこのパターンは多いんですけど、翻訳希望者では珍しい。貴重な新人が入ってきたって喜ばれるでしょうね(大笑い)。
ということは・・・・赤松さんのような例は、いわゆる映画青年にも入らないし、テレビドラマ”オタク”ということになるんでしょうか?(笑)

何にも入らないんじゃないでしょうか(笑)。好きだったことは確かなんでしょうけど、私程度でオタクじゃ、本当のオタクに悪いです。”はまった”という言葉を不用意に使ってしまったんで、そうとられても仕方ないんですけど、いわゆる本当に”どっぷりはまって観た”のは、東京に出てきてアカデミアに通い出してからです。

なるほど・・・わかりました。じゃ今度は英語の方です。これは学校の授業で鍛えられた?

そうではなく、英語もかなり小さい頃からなんですよ。
父が高校で物理の教師をしながら地学研究をしておりまして、その研究のために世界のあちこちに行っていたんです。帰ってくるといつもその時の写真をスライドで見せてくれて、スライドショーですね、そんなことから海外と外国語に興味を持ったのが始まりです。少し父が英語を話せることも影響を受けているかも知れません。

話が飛ぶんですけど、大学の専攻は英文科、それとも英語学科ですか?

外国語系の英米学科です。純粋に語学で、翻訳などをやってみたいと考え出したのはその頃です。言ってみれば英語のほかに出来る事がそんなになかったと、言った方が早いですね(笑)

言われていることをそのまま信じるとすると、得意学科は英語だけになりますけど(笑)・・・・・・

はい、文系の英語、そしてあえて言うと国語くらいでしょうか・・・・父とは正反対で理科系は全くダメです(笑)。

としますとね、映像と翻訳が一緒になって映像翻訳に興味を持ち出したのは、いつごろからなんでしょう?

大学に入ってからです。英語を使う仕事がしたいために外国語系に行ったのですけど、入ってから、外国映画の日本語版を作りたい!に発展しました(笑)。

日本語版に興味を持ったのは、なにか具体的なきっかけはあったんですか?外国映画が好きな人間はたくさんいますが、字幕や吹替の日本語版に興味を持つ人は少ないでしょう・・・・・

そうですね。覚えていることは、日本語版を作るという仕事があって、それをきちんと理解したのが確か大学の時でした。理解してから、自分の目指したいことと合っていると思い始めたんです。ですから、アカデミアのことは調べていて学生時代から知っていましたヨ。

なんと!(ビックリ!)・・・・・

就職活動のとき、就職しないでアカデミアにも行こうかなという選択も考えたこともあったんです。でも東京に行くには先立つものが必要ですし、就職が地元に決まったということもあって、まずはお金を貯めてからということにしたんです。

堅実で、現実的な選択だと思います。このように、将来を決めるときに一歩間違うととんでもないことになってしまいますから・・・・翻訳家になるには社会に出てからでも遅くはないし、その方がベターであるし、仕事は絶対に逃げてはいきません。
それにしても就職は地元の企業だったんですか、香港と結びつかないですね(笑)。

ゆっくりとご説明します(笑)。業種は繊維業界で、会社は兵庫県のほぼ中央にありました。中央ですから、ものすごい田舎で、毎日車で1時間弱の山道の往復でした。

お仕事は忙しかったんですか?

忙しくて薄給(笑)。会社は7時に終わればラッキーで、9時、10時はわりと普通でした。遅いときは日付が変わることもありました。

そんな時も山道を帰るんですか?

帰りますよ、タヌキとかキツネが出てくるような感じで轢いちゃいそうな・・・・・ハハハハハ

こういう様子を想像すれば良いんでしょうか、たとえば道は国道何号線じゃなくて県道何号線とか、町道とかで、道には街路灯など1本もない闇の世界を走る・・・・・

まさにそうです、闇の世界!(大笑い) 結構怖いです。

そんな生活は何年くらい続いたんですか?

1年です。次に同じ会社の香港工場と購買オフィス勤務を命じられて、香港に行ったというわけです。

山奥から香港ですか(笑)・・・・具体的に言うと、赤松さん、香港ではどんなお仕事をやっていたんですか?

何でも屋になっていました。事務全般、そしてお客さんのところに営業にも行きましたし、商品の売り込みのためのプレゼンもやりました。

プレゼンは英語で?

英語ですね。

先ほど言われた、鍛えられたとはこの時期ですね・・・・・

そうです、本当に鍛えられました(笑)。いくら外国語を専攻したからといっても、単純に大学を卒業しただけでは喋れません。

現在、映像翻訳という仕事をするようになって、英語力が一番鍛えられたのはこの時になるのでしょうか?

力がどのくらいUPしたのかは別としまして・・・・・この時ですネ。それと片言の広東語。
喋れなくても、日本語と同じ漢字なので少しは自分の意思を伝えられるようになりました。 必要は何とかの母です(笑)

想像ですけど、仕事にはズイブン精を出していたようですね。このような状態だと、 いくら映像翻訳者に転進したいと前から考えていたとしても、通常は難しいと思うん です。何か具体的なきっかけがないと、容易くは人生を曲がれないでしょう?

そうです、おっしゃる通りです。

さしつかえない範囲で結構ですので、その転進のきっかけを説明していただけませ んか。

難しい質問です・・・・いろいろあってどれが本当の理由か迷うんですけど、あえてあげるなら2つありました。会社のやっていた仕事がどんどん海外に行ってしまうため、人間関係が難しくなったことは大きかったです。

それと・・・・2つ目は仕事は長く続けたいんですけど、どうせ仕事で苦労するなら、やりたい仕事をしないと続かないだろうな、という予感がありました。こう考え出すと、翻訳への希望がどんどん大きくなってくるんです。
それと香港での仕事があまりにも忙しかったため、私的な時間がとれなかったんです。ですから貯金がたまって(笑)、もうこれで良いかなって考えもしました。

しつこいようですが、この転進のきっかけは映像翻訳をやりたいというお気持ちがあったから会社の仕事への熱意がなくなったのか、会社の仕事に迷いが出てきたから翻訳へのあこがれが強くなったのか、それはどちらなんでしょう?

やっぱり後者です。

そうでしょうね。いくら翻訳がやりたいからと言っても、会社が面白くて、仕事の将来も見えていれば転進は考えないでしょう。
ところで、ようやくアカデミアが出てくるところまできました、アカデミア入学のときは仕事の方はどうされたんですか?

香港から本社に戻って、暫くしてからその会社を辞めて、東京の会社に転職と同時にアカデミア入学ということになります。確か両方が2007年の4月でした。

いよいよ希望に向かっての1歩ということなんでしょうけど、仕事は別の仕事になっても、とにかく続けられていたんですね。

そうです、上京してとにかく仕事を見つけて、学校に通う下準備をしました。

アカデミアを選ばれた理由は何でしょう?

それは断然と言って良いくらい、東北新社がバックにいて、アフターケアがちゃんとしているからです。
卒業のときトライアル試験が受けられて、成績が良ければちゃんと仕事がもらえると明記されていましたから。
他の学校も調べましたけれど、やっぱり母体が分からないみたいなケースが多くて・・・・決め手はなかったですね。

学校選びの時期、たとえば赤松さんの好きな「フルハウス」とか、この日本語版は東北新社が制作したということは知っていましたか?

イエ、ゼンゼン知りませんでした。知ったのはアカデミアに入ってからです。翻訳が岩本令先生だということは前から知っていて、授業もアカデミアで持たれていることまでは分かったんですけど、東北新社が全部やっているとは全然知りませんでした。

この質問の意味は特別にはないんですけど・・・・・でも知っていれば、アカデミアを選ぶ理由は絶対になるでしょうね(笑)。

ファンとしては、無条件で「絶対!」と言えると思います(ニコニコ)。


授業は如何でしたか?面白かった?

充実した?3年間を過ごしました。大学時代と比べると、今度はどうしても「翻訳者になる」という絶対目標がありますし、失敗すると将来がなくなる(大袈裟か!)という危機感がありましたので、充実させるよりほかないのです(笑)。

プロになられた方は、大概このようなことは言いますね。

思い返しますと、大学のときは必須である授業を漫然と受けて、運良く就職もできてしまったので、幸か不幸か危機感という意識はあまり持てませんでした。アカデミアに来てからは、仕事になるかならないかの境目にいつもいましたので・・・・・なんとかしないと、何のために東京に出てきたのかって、いつも思っていました。

赤松さんのその言葉は、先日インタビューをした岡田理枝さん(注1)の言葉にとても よく似ています。岡田さんもいろいろな経験をつまれてきて、最後の仕事がフラメン コ酒場でした。勤めていた当時は良いんですけど、やっぱり長く続けられる仕事で はなくて、とにかく翻訳者にならないと食いっぱぐれる、という危機感は人一倍強か ったと、言われておりました。一緒ですね(大笑い)。ところでどんな授業が記憶に 残っていますか?

注1: 岡田理枝:映像翻訳者 2005年3月卒業生 この卒業生インタビューNo.20に登場しました。

なんといっても水谷先生の授業です。

卒業生は、皆さん挙げる先生です。具体的にはどんなことを教えられましたか?

英語の読み方は勿論なんですけど、下調べをどれだけするかとか、日本語をどれだけ練って画面の状況にぴったりくる言葉を選ぶか、このようなこと全部を叩き込まれたということなんですけど・・・・・それ以外にも沢山あるような気がして、一言では言い表しにくいです・・・・

水谷先生が良かったと言う人は、赤松さんのようなタイプと、飲みに連れていってくれて良かったというタイプがいますね(笑)。

実はそれもあります

アハハハハ。

ものすごくお忙しい方なのに、生徒に時間をさいてくださる先生ってとても印象に残っています。勿論、教えられた中味もすごく濃いんですけど・・・・

そのほかに印象的な先生はいましたか?

土井先生。

ドキュメンタリーの方ですね。

授業数はそんなに多くはなかったのですけど、ポイントを押さえて理路整然と説明してくださったのでとても印象的でした。いまだになんですけど先生の授業のノートひっくり返しているんですよ。生徒のときはそんなに意識はしなかったんですけど、いざ仕事をやるようになってから、ほんとに為になることを話していただいていたんだと実感して・・・・これってプロになって実際に仕事をやってみないと、逆になかなか分からないことなんだなって思っています。

そのほかでは専科の櫻井先生。先生からは字幕でも吹替でも台詞って感覚的なものではなく、とても論理的に作られていることを教えられました。
どこでそんな事を当たり前のように考えてしまったのかは分からないんですけど、台詞ってセンスの問題が第一で、かっこよくて、気の効いた台詞とは何か?って、そんなことばっかりを考えていたんです。でも台詞の良し悪しは論理的に理由があって良い、悪いが決まる、センスなんて二の次の問題、そのことを繰り返し教えていただきました。

おおよその様子は良く分かりました。それで、3年目の3月で卒業されるわけですよね。実際の仕事はいつ頃から始まったんですか?

実は2年目の研修科が終わったとき、トライアルを受けているんです。そのときから仕事を頂いていました。

とすると、専科に通いながら仕事をしていたわけですね?専科卒業のときも受けた んですか?

次に受けたのは去年(2011年)の秋のトライアルです、1年飛ばしました。専科卒業のときは丁度仕事が重なってトライアル提出が無理だったんです。それで去年の秋になりました。

成績は上っていましたか?

これはあんまり話したくはないんですけど、研修のときと同じで字幕は○○○で吹替は○○○(注2)で変わらなかった アハハハハ

注2: この具体的な成績は個人情報ですので○にしておきます

でもそれだと、少なくとも字幕は仕事ができるレベルにはあるということは証明されたわけです。
字幕の発注窓口に営業ということは考えたこと、ありませんか(笑)

(唖然と)エッ?エエエッ?そんなこと恐ろしくて言えないです アハハハハ トライアルで「Aプラスを取ってから来い!」と言われそうで・・・・

自己アピールは苦手な方がほとんどですから(笑)、特に翻訳をやろうなんていう 方はなおさらですね。香港での辛い営業の日々と同じことでしょう・・・・(ニヤニヤ)

はい、ご忠告ありがとうございます。きっかけがあったらやってみます。でもいまそれどころではないんです、つらい修行の日々を送っているんです。

??・・・・・・・

今やっているドキュメンタリーのシリーズでなんですけど、ドキュメンタリーと言ってもバラエティーの要素がかなり入った作品で、ディレクターの内池さん(注3)に原稿をかなり注意されて、営業どころじゃないんです(笑)。

注3: 内池望博:日本語版吹替&CMディレクター 東北新社顧問
代表作:日本語吹替作品「奥様は魔女」「スパイ大作戦」他
CM「日清キツネどん兵衛」「ナショナル」他

もう少し具体的に説明していただけませんか。

バラエティー色のあるリアリティー番組は少しは経験があったんですけど、ここまで強いのは初めてでした。ですから私が抱いていた翻訳の常識が通じなくなっているんです。
ナレーションは全くなくて、全部会話の構成で・・・・そうするとナレーションと台詞の作り方はぜんぜん違ってきますよね。しかもこの会話が軽くて、つまり掛け合いが面白くて笑えないと、面白い作品にはならないんです。言ってみればこの種の作品に始めて出会って・・・・・翻訳は勿論しなければならないんですけど、それだけじゃダメで、台詞でもっと遊んで、もっと意訳しなければ面白さは出ません。

難しい作品に出会いましたね(笑)。大元は翻訳でもそこから出発して、ショー番組 の脚本を書かなければならないということでしょうね。

そうです。同じ翻訳をするのでも、作品の中味によってはこんなに面白く振っていいんだということを、身をもって経験させていただいています。ギャラを頂きながら授業を受けさせてもらっているといえばいいのか・・・・・

ハハハハ モノは考えようですけど、翻訳の仕事をするっていうことは、かなりこの要素、つまりいつも勉強と言うか、訓練と言うか、どんな内容にも慣れなければなら ないということが付きまといますね。
この訓練を重ねる事が、ベテランになるというこ となんでしょうね。

先ほどもお話をしましたけど「フルハウス」の大ファンで、あんな作品がやれたら良いなとは思っていたんですけど、いざこのような作品に出会ってみると、冷や汗が出てきてしまいます(笑)。

いいチャンスですから、疑問はこの際全部ディレクターに聞いておいたら如何ですか?

そうしています、昨日も収録が終わったあといろいろ教えていただきました。
同じ内池さんが演出されているヒストリーチャンネルの「ポーン・スターズ」(注4)、あの放送をいつも拝見しているんですけど、面白いですね、絶妙の掛け合いだと思います。あんな風な台詞が作れたらなと、いつも思うんですけどなかなか思うようにはいきません。すぐできたら苦労はないんでしょうけど・・・・・とにかくその種類の番組をなるべく見るようにしていて、いつの間にか大昔のテレビ人間になってしまっています。

注4: ヒストリーチャンネルで放送中の人気バラエティー番組。
正式には「アメリカお宝探偵団 ポーン☆スターズ」
http://www.historychannel.co.jp/otakara/

出来るかどうかは別にして、赤松さんがこれから手がけてみたいジャンルは、やっぱりコメディになりますか?

はい、文句なくそうです。笑えるもの。関西人だからですかね・・・・フフフフ 楽しいものをやってみたいです(笑)。

一刻もはやくコメディが翻訳できる日を願っております。今日はありがとうございまし た。

学校説明会で映像翻訳に適している人とはどんなタイプの人間か?とよく質問をされ ます。勿論、そのような質問にたいする答えはないのですが、経歴についてなら、いつも次のような回答をしています。
それは、映像翻訳者を目指すなら、かならず社会経験を積め、どんな仕事でもよい、仕事の経験は後々翻訳という仕事にきっと役立つ、というようなことです。

赤松さんの場合、香港にまで行って経験した苦労の4年間は、これからどのように翻訳という仕事に生かされるのでしょう?5年後10年後彼女がどのような翻訳者になり、かつての勤めたという経験をどのように考えるか、ぜひ聞いてみたいと思わせるインタビューでした。
なぜなら映像翻訳という仕事は、翻訳をすることが第一でありながら、それと同等に映像を創る様々なスタッフとの関係がとても大事であり、赤松さんにはその様な人間関係を築き上げる能力を充分感じる事が出来たからです。

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