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我が師、柴田元幸先生の言葉に導かれて・・・・

後藤紗綾香 映像翻訳者/2001年3月 映像翻訳科・映画翻訳専科卒業


2001年3月 映像翻訳科・映画翻訳専科卒業
【作品歴】
[放送]
(吹替作品)「クリフォード」(シーズン1、2)「秘密の花園」 (字幕作品)「F.B.EYE!!相棒犬リーと女性捜査官スーの感動!事件簿」シーズン2
  [ビデオ・DVD]
(吹替作品)「女ドラキュラ」 (字幕作品)「奥さまは魔女」(シーズン4)「スピリット・ボクシング」「スティーラーズ」 [DVD特典・コメンタリー]
「アイアン・ジャイアント」「博士の異常な愛情」「ザ・エージェント」 「フィラデルフィア」「僕はラジオ」「キャットウーマン」「ショーシャンクの空に」「シャッター・アイランド」 「007シリーズ」「リトル・マーメイド」「マイレージ・マイライフ」「さらば青春の光」
[その他]
(英文字幕作品)「893239(ヤクザ23区)足立区編「復讐~そして私は踊る~」 ほか多数

映像翻訳科の学科主任、鈴木先生がある日、アメリカ現代文学の翻訳で人気のある東大の柴田元幸教授のゼミを見学にいくという情報がもたらされました。東大とは縁もゆかりも無い鈴木先生がどうして?
・・・・・しかしながら遠い縁はあったのです。
10年近く前にテクノアカデミアを卒業した東大卒の女性がおり、出産などで数度の長い空白を挟みながらも、彼女に仕事を出し続けたのが鈴木先生でした。そんな彼女が、柴田ゼミで映像翻訳の講義をやるとの情報が、鈴木先生に舞い込んだのです。
ならば彼女を、つまり今回登場いただく後藤さんをそのまま放っておく手はない、後藤さんがゼミで何を語ったか、映像翻訳についてどのように考えているのか、いやそれよりも”翻訳”ということについて、柴田先生から何を学んだのかぜひとも伺ってみようと、今回のインタビューは始まりました。

早速ですが先日の柴田ゼミは、どのようないきさつで出席をされているんですか?とっくに大学は卒業されたでしょう・・・・

ゼミを受講しているわけではなく、私が映像翻訳にかかわっていることを柴田先生が知っていらして、ちょっとその翻訳について話してもらえないかと、呼ばれたんです。

なるほど(笑)・・・・事情が分かって来ました。特別講師として講義せよ、というわけですね!

そうです、そうです、ですから先日の授業は「映像翻訳について学ぼう」という内容だったんです。

なるほど・・・・そうしますと、どのような事を講義されたのですか?

生徒さんたちは、映像翻訳について初心者ばかりなので、吹替と字幕の大きな違いから入って、次にSSTを使って字幕の基本的な事柄全般の説明・・・・たとえば1秒4文字の基準などから初めて、ハコの切り方とか、このハコは何秒だから文字数はおおよそ何文字で、だからどのくらいの文章が可能か実際に作ってみたり・・・・アカデミアでの授業と同じようなスタイルでやってみました。

どのくらいの長さの授業だったんですか?

たしか90分、緊張してアップアップで、恥ずかしかった(笑)・・・・・

ということは、映像素材も何か使われたんですか?SSTを運び込んだのだから当然ですよね。

知り合いが創った短編の映画で「レデンプション・マディー(Redemption Maddie)」(注1)という作品です。未公開でどこかの映画祭で賞を取ったって聞いています。内容が分かるよう、とりあえず私がボランティアで字幕を入れました。

注1 : この作品について興味のある方は、下記アドレスにアクセスしてみてください。
http://www.imdb.com/title/tt0890881/

お伺いしていると、面白い話がどんどん出てきそうな気がしてきました!!(笑)
それにしても、柴田先生はどうして映像翻訳の講義などを企画されたのでしょう?

このゼミが”翻訳論”と銘打っているんです。ですから活字翻訳だけではなく、色々な分野の翻訳を考えるということで、映像翻訳についても興味を持っている学生もたくさんいるから、ぜひ講義をということになりました。

当然、質疑応答はあったとは思うんですけど、質問はどんなものが飛び出しましたか?

素人っぽいものから、答えるのに困ったっていう質問までいろいろでした(笑)。
例えば今まで大変だった作品とか、得意分野は?とか、やってて楽しいものは?とか、翻訳のスピードとか・・・・なまりとか、ジョークを訳すのはどうするのか・・・

どうするんですか?具体的に説明いただければ・・・・

字幕翻訳中心の回答をしたんですけど・・・緊張してどんな回答をしたのか、うろ覚えなんですよ(笑)
・・・・”なまり”については変に日本語で表現するより、オリジナルをそのまま聞いてもらうようにして、どこかの台詞に「なまっている」ことの情報を入れるようにしていると、答えました。
ジョークについても、こてこてのコメディーでない限りは、画面で面白いことを言ったと分かりますから、日本語で冗談を作るよりは、まずは意味を分からせる字幕にすると答えたと思います。

たしかに初心者にとって、オリジナル言語のなまりやジョークの処理の仕方は興味のあるところなんでしょうね。ところで柴田先生は、こんな質疑応答のときはどんなポジションなんでしょう、先生からも質問を受けたんですか?

私と生徒さんとのちょうど中間に立ってくださいました。私の助け舟としての進行役をしていただき、助かりましたよ(笑)・・・・・先生ご自身は活字翻訳と違うところや、似ているところに興味を持たれ、話を整理してくださいました。

そう、今思い出したんですけど、一番驚かれたのは完成した翻訳原稿のチェックについてです。活字翻訳はオリジナルとの照らし合わせはするんでしょうけど、最後の段階では、翻訳した日本語を日本語として整えていくことがメインになるそうです。
そこに行くと、映像翻訳は日本語としての調子、前後関係について調整はするんですけど、メインのほとんどはオリジナル言語に戻ってのチェックだと説明したら、大変驚かれていました。

私たちも驚きですね!!(笑)。この違いは想像するに、業界の成り立ち、つまり翻訳者の著作権をいかに尊重するかとか、翻訳対象に絵があることと、無いことからの違いとか、翻訳期間の長短とか、・・・・こんな要素が複雑にからみ合って、チェック方法がこんなにも違ってきたんでしょうね・・・・・・
柴田先生のお話は、もっとお聞きしたいのですけれど、後でじっくり聞かせていただくことにして、いつものように、まずは後藤さんにまつわる質問をさせてください。後藤さんは、アカデミアは何年の卒業になるのですか?

2001年です。東大で3年生になった’98年に入学して、2000年に大学を卒業、アカデミアはそのまま通って、翌年の2001年卒業でした。

とすると約10年前・・・たしか、プロになってからも、数度翻訳を休業したと聞いておりますが・・・

この10年間、いろいろなことで中断しました(笑)・・・・2人子供を産んで、それに加えて1年半くらいアメリカにも行きましたし・・・・翻訳を発注する方が、しょっちゅう休業する私を、よく覚えてくださったと感謝しています(笑)。

映像翻訳者を希望する方は、英語(外国語)か、映画の虜になった方がとても多いんですけど後藤さんもそうですか?

はい、そうです。迷わず言えます(笑)

どちらの虜なんですか?

映画。ですから、自分の将来を決めなければならなかった時、自分にとって興味の持てる仕事は何か、ついでに英語が生かせれば、という順序で考えました。そうすると、おのずから映像翻訳になってしまったんです。

英語はいつごろから?

子供のころ・・・・小学校の3年から中学1年まで、アメリカに住んでいました。父親の勤めの関係です。

多感な時期を過ごされましたね・・・・・そうしますと、順序からいうと映画より、英語との出会いのほうが早かったのではありませんか?

そうでもないんですよ。確かに、アメリカでは英語ありきだったんですけど、そのころには母親の影響で、映画漬けだったんです。母がものすごく映画好きで、それもハリウッドの大作ばっかり(笑)・・・・テレビ、ビデオで繰り返し見ていました。それでいつの間にか私もはまってしまって(笑)。

たとえば、どんな映画?

インディー・ジョーンズ、トップガン、バック・トゥ・ザ・フューチャー、アンタッチャブル、エイリアン、ゴッド・ファーザー、フット・ルース・・・・
分かるでしょう、傾向が(笑)。これが日本に帰ってくると、のめり込みが加速するんです。
母親の影響から抜け出して、私独自ののめり込みが始まって・・・・例えば中学の授業で「12人の怒れる男」を見て、それまでのハリウッド映画とは全然違った面白さを発見したり、それまでの傾向とは少し変わってくるんです。
シンドラーのリスト、パルプ・フィクション、ショーシャンクの空に、デッドマン・ウオーキング(笑)・・・・

ハハハハ・・・キリがない!映像翻訳に必要な2本柱、英語と映画との出会いは分かりました。でも2本柱が揃ったからと言って、そのまま翻訳に目が行くわけではないでしょう・・・・
どんなきっかけがあったんですか?

・・・・翻訳を意識する前にこんなことがありました。
「星の降る街」っていう映画ですけど、中学のときに見まして、原題を調べたら”THE BUTCHER’S WIFE”なんです。ぜんぜん違うタイトルで公開されていて、もうビックリしてしまいました。

このとき始めて、翻訳って面白いことが出来るんだって意識し始めました。勿論、タイトルを決めるのは翻訳者の役目じゃないことは、今は知っていますけど、そのころはそうは思いませんでした。たぶんこの頃、翻訳者という事が頭のどこかに住みついたと思います。

とすると、具体的な進路を考えるときこの出来事が大きく左右したんですか?

たぶんそうなんでしょうけど、もっと言いますと小さい頃から、日本語を読んだり、書いたりが好きで、ものを書く仕事がしたかったんです。日本語で字を書きたい、それに英語を使えればもっと良かった・・・とすると翻訳なんですよ、それも字幕です。字幕だと私が望む条件にピッタリです(笑)。
ですから、高校で進路を決めるとき、もうこれしかないって一直線に思い込んでしまって、大学なんかどこでも一緒じゃないか位まで思っていました。

過激ですね(笑)、ご両親からいろいろ言われたでしょう。

フフフ・・・・言われました、こんなに早くから進路を決めると、視野が狭くなるから、とか周りからいろいろと・・・・

言われて当然でしょうね(笑)。でも大学に行ったということは、翻訳はとりあえずは棚上げしたわけでしょう。

結果としてはそうなりますね。でも、幸いなことに大学でも中心は映画を見ることとと翻訳の授業でした。
特に1年の時に柴田先生の授業を取れたこと、劇場にせっせと通ったことでしょうか・・・・

そうすると、棚上げをやめて、アカデミアに行こうとした直接のきっかけは何だったんですか?

何と言っても柴田先生に翻訳を褒めていただいたこと、大勢の生徒の中から私の訳を「この訳はいい」と言っていただき、自信をもらったこと。やっぱり私の勘は当たっていた!(笑)、翻訳は私の天職だ!(笑)って改めて思い込んだことが大きかったと思っています。

棚上げどころか、火に油ですね(笑)

そうです、後々の人生への影響ということを考えると、あの経験は一番大きかったと言えます。
それと3年になると、周りがそろそろ将来の進路なんていうことを言い出しますでしょう、私も決断しなきゃと思って、とうとう学校選びに走り出したんです。

アカデミアを選ばれた理由は、何だったのですか

3校くらい見学したんですけど、映像翻訳だけを専門にしていたのがアカデミアだけでした、それと体験授業がとっても実践的でした、これが決め手だったという記憶があります。

入学してみていかがでしたか、きちんと学べたという実感は持てましたか?

業界で有名な先生が多く講師をされてますね、先生方の印象が今でも強く残っています。

例えば?

例えば・・・・古田先生。
昔のことなので、授業の印象と、その後で見た先生の翻訳の印象が混ざってしまっている部分もあるんですけど、とにかくレベルが違うっていう・・・・私も文学部の英文科で、目指す方向は文学的な作品を多く手がけられている古田先生だ・・・・というような漠然とした希望は最初はあったんですけど、こちらも少し知識がついてきて実際に先生の翻訳そのものを拝見すると、もうとんでもない・・・・自分がどうかしてできるようになるものじゃないって、思い知らされました。それほど深い印象でした。

それから・・・・本当に翻訳の訓練をしていただいたと実感できた授業がありました、小川先生の授業です。
毎回課題を出していただき、生徒の答えに点数をつけて返してくれるというスタイルです。低い点数をつけられると、どうしても次は「頑張ろう!」ということになって、いわゆる一番授業らしい授業を受けさせてもらいました。
字幕のあるべき姿、当たり前の基本、つまり例えば・・・・・締め切りは厳守、字数には細心の注意を払え、誤訳は絶対ダメ、何度でも見直す、翻訳素材は大事に扱え、雑学を身につけろ、聖書に強くなれ、いろいろありますね(笑)・・・・小川先生から言われたことがそのまま頭に入っているような気がします。

今言われたことは、知識として覚えているんではなく、肉体化するために叩き込まれたという意味に近い感じを受けます。

そうです、そう理解していただくと助かります。
私の言っていること、当たり前のことばっかりなんで、説明してしまうと全然面白くありません。でもこれを本当に自分のものにするには、大変な努力が必要です、ですから体で覚えこむという様に理解していただくととてもウレシイ!です(笑)。

大学の授業で柴田先生にも同じように翻訳の実践を学びましたけど、実際の翻訳の訓練という意味ではアカデミアでの授業、特に小川先生の授業が大きかったと思います。

吹替は叩き込まれなかったんですか?(笑)

亡くなられた島先生に厳しく仕込まれました(笑)
・・・・反省でもあるんですけど、昔から英語が少し理解できたので、アカデミに入るまでは吹替にはほとんど目を向けませんでした。それもあってか、映像翻訳というと字幕のことしか頭になく、でも始めてみるとあんな面白いものはありません。

何がそんなに面白いんでしょう?

原音がぜんぜん聞こえなくなって、自分の考えた日本語だけの世界になって・・・・芝居の脚本を書いているような感じになってきます。つまり脚本家の気分なんですよ。それにこの脚本にしたがって、声優さんたちは演技をしてくれるでしょう、演出の部分まで、少しですが踏み込んでいかなければなりません。あの経験が面白くないって言うなら、翻訳家じゃない!って言ってしまいそうです。(笑)

吹替の醍醐味について、翻訳の皆さんこのことを言われます。

だけど、字幕以上に注意を払わなければならないところもあります・・・・私だけの個人的な経験かもしれませんけど、吹替はよほど注意しなくちゃだめだと・・・・・ 子供向けのアニメーションをやったことがあるんです。
放送で完成作品を娘と一緒に見ていたら、言葉の使い方で、これはないだろうという箇所がいくつも出てきて、とても落ち込んだことがあります。勿論娘は喜んでみているんですけど、翻訳者としてはヒヤヒヤしっぱなしで、反省しきりでした。
台詞がダイレクトに耳に入ってくるでしょう、印象として字幕よりはるかにはっきりと記憶に残るんです。それもダメな台詞ばっかりが・・・・・

分かります。形で見る字よりは、音となっている台詞の方が記憶に残る・・・・

この経験をもっと説明しますと、字幕はSSTでおおよその最終形は判断できます、やり直しが効くチャンスもあります。でも吹替は自分の力の及ばない、声優の演技という行程を通らないと最終の形にはなりません、その上録音という一回だけの勝負。録音したあとで聞いてみて、やっぱりあの言葉が良かった、あの台詞にするべきだった、ということが本当に多くて・・・・
でもそのときはもう直せない、いくら台詞に注意をしてもしすぎることはありません、難しい分野だと実感しています。

なんだか、アカデミアでの感想というより、プロとしての心構えのようなお話になってきました(笑)
・・・・・質問が飛びますけど、こんな訓練を受けてアカデミアを卒業し、出産を経験されて、本格的に翻訳を始められたのは、するといつ頃からになるんでしょう?

2001年に卒業して・・・・2003年の年明け頃からです。次女を出産するまでは、本格的にかなり働いた覚えがあります。

今回お話を伺って、後藤さんのケースは、若いときから、確信を持って映像翻訳者になる道を進まれてきたと言えます。後藤さんはご存じないかもしれませんけど、このようなことはめずらしいケースなんですよ。ほとんどの方々は、社会に出て、様々な職業を体験されて、回り道をして翻訳者にたどり着くのが普通です。繰り返しになりますけど、やはり柴田先生の言葉が決定的だったんでしょうね・・・・・

小さい頃からの憧れを、実際に実現させるためには、具体的なきっかけは必要だと思います。
確かにそのきっかけにはなったし、先生に褒められたことは自信にはなりました。

最後の質問になりますが、柴田先生からは、翻訳について具体的にどのような事を学ばれましたか?映像翻訳は、柴田先生に学ばれた文芸翻訳との違いはあるんですが、翻訳という行為の基本の考え方は同じだと思いますので、その基本的部分についてお聞きしたいと思います。

言葉で説明するのはとても難しいんです。翻訳とは何か・・・というような「概念」について具体的に”アレ”を教えられた、”コレ”を学んだと言うと、なんとなく違ってしまうような気がします。
あえて言うなら、ただ翻訳とは定義をすることではなく、「翻訳をする」という実践そのものと言ったらいいのか・・・・ですから、授業はあくまでも翻訳しなければならない文章が目の前にあり、その文章をただひたすら訳す作業でした。
だいたいから、成り立ちから言っても、英語と日本語はまったく違う言葉であって、”YOU”がそのまま”君”にはならない、厳密に言うとその意味は全然違うわけです。

そうですね、二つの言葉の指す意味範囲は違います。

とすると、具体的に”YOU”はどのように訳すか・・・・”君”なのか”あなた”なのか”お前”なのかそれとも”オマエ”なのか、いやここは訳さないで脱落させてしまうのか、あるいは日本語として文のリズムはどうか、文を2つに分けるか分けないか、などなど・・・・具体的な文章の翻訳作業の中で考えるしかありません。
勿論正解は1つだけではないわけで、誤訳で無いかぎりすべてが正解と言えます。原文に対する個人の受け止め方はそれぞれであり、だから訳し方もそれぞれ・・・・あらゆる可能性があることを、授業を通じて理解することができました。

お聞きするとアカデミアの講師の方々が、いつも言っていることと変わりない(笑)、当たり前のことなんでしょうけど・・・・

少し引いて言い換えてみると・・・・うまく言えないんですけど、正解は1つだけではない、ということは自分の翻訳ばかりではなく、Aさんの訳、Bさんの訳、Cさんの訳が出され、それらが正解だとなるわけです、するといろいろ考えさせられるんです、考えることでさらに次の可能性を試さざるをえない、そうすることで多面的な視点を身につける・・・・ただひたすらそんな訓練の繰り返しによって、色々な日本語の可能性、翻訳の可能性を会得する修行のような授業を受けました。
ですから先生は生徒の訳は絶対否定しないし、勿論御自分の訳を押し付けたりもしません。つねにオープンマインドで、生徒と同じ目線で可能性を探っていかれていました。質問の答えとは少しずれるかも知れませんけど、柴田先生から学んだことは翻訳の概念ではなく、あくまで翻訳をいかに実践して可能性を探るか、だと思っています。

お話を伺っていて、翻訳についてのイメージを、とても具体的に掴めたような気がしています。と言うのも、アカデミアの卒業生たち、在校生たちに色々お話を聞いていると、あちこちから出てくるのが、人の訳した文章、考え方がどれほど参考になるかということでした。
やっぱり、後藤さんが今言われた「翻訳の可能性」ということに重なると思います。

100%正しい翻訳はない、ただ100%に近づいてゆく可能性の世界だ、そんな柴田先生の姿勢にすごく魅力を感じているんです。

最後のダブルになってしまうんですけど(笑)、最後の質問です、これからどんな作品をやっていきたいと考えていますか?

希望したとしても、運よくそんな作品に当たるかは別ですけど、あえて希望するなら、ハリウッドのアクション超大作、やってみたいんですよね、この手のもの(笑)・・・・あとは刑事、サスペンスもの・・・あとは・・・・今でも元気に劇場に足を運んでいる母親に、私の名前がクレジットされている作品を見せたい・・・・

ハハハハ、とても上手な結論を言っていただきました(笑)。

インタビューには載せられなかったのですが、後藤さんは学生時代、柴田先生の授業と映画館通いが日課だった時期がありました。どんな作品が記憶に残っているのかとの質問に、こんな素敵なメールを送ってきてくれました。
その一部を紹介いたします。

好きな映画
「スナッチ」:キャラクター、セリフ、構成、音楽、すべて好き。結婚式の2次会でもサントラを流しました。
「ユージュアル・サスペクツ」:最初観たときの衝撃が忘れられません。
「バンデッツ」(ドイツ映画):試写会で観て、興奮のあまりその場でサントラを購入しました。
「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」:年下のイケメンとデイト中だったのに、彼のことそっちのけで画面に釘付けになりました。
その他の作品、感想は入れずに・・・・・・「ビッグ・リボウスキ」「インファナル・アフェア」「あの頃ペニー・レインと」「エイプリルの七面鳥」「ガタカ」「恋する惑星」「マーサの幸せレシピ」・・・・

小さい頃から青年になるまでの多感な時期、多くの時間を、本を読んだり、映画を観たり で過ごすと、それまで蓄積した様々な感情、思考を何かの形で表現したくなる、そんな 傾向は、多くの人々が持つ一般的なものだと言えるでしょう。

また「何かの形」とはそれこ そ様々な形をとるでしょう。そしてここまではごく普通の道のりであり、プロになる道とは別のことと言えます。 さて、後藤さんが”普通”ではなく、プロになるという希望の道を歩めたのは、もちろん柴田先生の授業という出会いがとても大きかったと想像されます。
その様子はインタビューからもはっきりと理解された所でした。そして翻訳とは”可能性”だという意味も。
さらに・・・・”可能性”という言葉が、努力や追求をすることからしか生まれず、いつも追いかけていくものだとすれば、後藤さんにはこの道を、ぜひ最後まで、諦めずに、歩いていってもらいたいと思うのです。

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