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長崎Uターン・地方在住の映像翻訳者を目指して・・・・

藤本 聡 映像翻訳者/2005年3月 映像翻訳科・映画翻訳専科卒業


2005年3月 映像翻訳科・映画翻訳専科卒業
【作品歴】
[放送]「ラスキンズへようこそ/エブリデイ・ピープル~この店を閉める日まで~」 「ジェシカおばさんの事件簿/殺し屋の最後の告白」「戦火の傷跡」「スターの恋人」 「Ⅷ サーティーン」 「THE WIRE/ザ・ワイヤー」(シーズン4&5) 「ラリーのミッドライフ★クライシス」(シーズン5&6&7)
  [ビデオ・DVD]「シャーロットのおくりもの」「ハイランダーネクスト」「コールドプレイ」 「ダーティ・サンチェス:THE MOVIE」「シティ・オブ・ザ・デッド」「ビッグ・トラブル」 「AVA エイリアン VS.エイリアン インベージョン」「アーノルド坊やは人気者」(シーズン1) 「ローハイド」「ブレイド ブラッド・オブ・カソン」(いずれもDVD BOX)
[特典・コメンタリー]「トランスフォーマー」「サンタクローズ3」「ブリッジ」「キングダム/見えざる敵」 「ヒーローズ」「2012」「サブウエイ123 激突」「バロン」「ダ・ヴィンチ・コード」 他多数
  以上全て字幕作品

今回のインタビューに登場してもらう藤本さんは、九州は長崎生まれのバリバリの九州男児。
彼が目指したのは「好きなことを仕事にして食べていけるようになりたい」という、人さまからはひょっとして「甘い!」などというヤジが飛びそうで、しかも進むにはとても困難な道でした。しかしながら九州男児として、男らしく初志貫徹。翻訳道をめざした多くの方がそうであるように、藤本さんも紆余曲折を経ながら、映像翻訳に辿りついたのでした。

しかしそれだけではなく、プロになった今地元にUターン、地方で映像翻訳という職業を成立させようと頑張っています。
今日はこの試行錯誤をじっくり語ってもらいましょう。

インタビュー開始早々で大変失礼なんですけど、お幾つになられましたか?

最初から痛いところを突かれますね(笑)、あんまり言いたくはないんですけど42歳。

ということは、5年前卒業ですからアカデミアに入られたのは34歳ですね。

計算上はそうなります。他の方と比べても順調な道のりです(ニヤニヤ・・・)

(ニヤニヤ)順調かどうかは置いておきましょう。それまではお勤めだったんですか?

はい、真面目なサラリーマン。産業翻訳の会社に勤めていました。

ということは・・・今と似たような業界にいらしたんですね。この分だと、すぐアカデミア入学に辿り着きそうで、インタビュアーとしても助かります(笑)。それでは最初から順序良く質問をさせてください。
映像翻訳者を選ぶということは、普通は語学か映画かに洗礼を受けるわけですけど、藤本さんは最初はどちらだったんですか?

映画です、映画大好き人間です。

テレビドラマの方は?

テレビドラマも劇場映画も両方です、とにかく何でも見ていました。

何年生まれになるんでしょう?

1968年、出身は九州の長崎です。ちょうど原子力空母のエンタープライズが来ていた大騒ぎの年にあたります。

騒乱の年の生まれですか・・・・

そうですけど、僕の人格形成にはあんまり関係がなかったと思います(笑)・・・・・
映画に興味を持ち出したのは中学のとき、ちょうど80年位からと記憶しています。でも、地方都市でしょ、上映するのはハリウッドの大作ばっかりで、色々なジャンルの作品を観出すのはもっと後です。
洗礼をうけた最初の作品はジェームス・ディーンがかっこよかった「エデンの東」、それから「インディー・ジョーンズ」文句なしに面白いエンターテイメントでした。

テレビドラマの方はどうですか?

「バイオニック・ジェミー」「チャーリーズ・エンジェル」「刑事スタスキー&ハッチ」「大草原の小さな家」・・・・もっと挙げましょうか!(笑)

充分です、分かりました(笑)

そのほか「スクリーン」とか「ロードショー」とかも買っていました。

だいぶ様子が掴めてきました、このような感じの”オタク”は私の周りにもいました、だからよく分かりますよ。英語の方に興味を持ち出したのは、いつごろからですか?

映画が面白くなったのと同じ時期です。映画が好きで、英語も好きになったんです。こんなことから、海外や外国語への憧れを持つようになって、大学の志望も外国語関係にしたいと考え出しました。

志望どおり外国語学部に行ったんですか?学校はどちらですか、差し支えなければ・・・・

はい、大阪外大です。

専攻は英語?

いえ、ポルトガル語。

?・・・・・・

(ニヤニヤ・・・)ビックリするのも無理はないんですけど、当時は僕なりに高校生の頭で色々考えた結果なんです。
まず、英語以外のヨーロッパ系言語を学びたかったことが第一の理由、それに・・・・そこそこ多くの人口に使われている言葉というと、ポルトガル語あたりがピッタリなんです。歴史を見ても面白そうだし、長崎とも関係が深いし・・・・・(笑)

一面的かも知れませんけど、有用性という面からだとポルトガル語は問題でしょう・・・・

ハハハハ、有用性はほとんどないですね、卒業してからは全然使っていません。

実際にこの国へは行っているんですか?

行ってますよ、国民性は日本と似ているところがあると思います、魚なんかもよく食べますし・・・・・でも有用性ということも確かに考えないとまずいので、英語をきちんと喋れるようにイギリスに1年間行っています。

いろんな所に行っても、安全パイはちゃんと握っていますね(笑)。ところで、先程アカデミアに入る前は産業翻訳の仕事とおっしゃっていましたが、もう少し具体的に説明をお願いいたします。

具体的にも何も、会社は産業翻訳を中心に営業している会社で、そこで翻訳関係の仕事をしていました。

翻訳ではなく、翻訳関係の仕事???

翻訳のチェックですよ、字幕を作るプロセスでもチェッカーは必要でしょ、あれと同じです。時々は翻訳もやりながら、メイン業務としてチェックを続けていました。

サラリーマンとして、他の業務はしなかったんですか?

翻訳が中心なんですけど、輸入関係も少し・・・・・

それじゃ・・・・ある意味、ほぼ志望どおりの道を歩んでいたわけでしょう、わざわざ映像翻訳に方向転換することもないのでは・・・・・特別なきっかけがあったんですか?

きっかけはこれと言ってないんですけど・・・・逆に・・・だからかも知れませんけど、かなり悩みました。
詳しく説明しますと・・・・・・前にも言ったように、「スクリーン」とか「ロードショー」なんかで戸田さんのインタビュー記事を読んでいて、映像翻訳というのは狭き世界で、入るのにも難しく、一般の人はなれないと半分諦めていました。で、僕がやっていたいわゆる産業翻訳、ズーッとやっていてやっぱり単調なんですよ、何か違うという感じがいつも付きまとう(笑)・・・・だから、30才の声をきくと悩み始めるんです。このままで良いのか、自分は何が本当にやりたいのだろう?・・・・・
こんな時、必ず出てくるのが映像翻訳だったんです。

その気持ちはよく分かるんですけど、10年近くのお勤めから舵を切るのは、よっぽどじゃないと出来ないでしょう。

そうなんですけど、まずは”通ってみよう”ということだったと記憶しています。

会社は辞めていなかったんですか?

はい、最初は”2足の草鞋”で・・・・辞めたのは、アカデミアに入って3年目の途中の時でした。ちょうど東北新社の字幕課の募集があったんで、そちらに応募しました。ですから・・・・形の上では、前の会社から東北新社に転職したということになります。

前の会社からは引き止められたでしょう・・・・ それに字幕課は契約ですよね・・・・・

引き止められました、それに収入も相当下がりました。でも悩んだ末のアカデミア入学で、進むべき方向は決めていましたから・・・・・・

藤本さんの固い決心はよく分かりました。ところでアカデミアを選ぶにあたって、他の学校は考えなかったんですか。

考えなかったですね(笑)・・・・入学よりずっと前に、電車内の広告を見てそれが頭から離れなかったことと、東北新社がバックにあるから仕事をもらうに有利だろうという目算があった(笑)・・・・・

アカデミアに入ってくるほとんどの人がそうですから、この答えはあまり驚かない(笑)・・・・・でも実際に入学されての感想はいかがですか?

“軽い!”って言われそうですけど、お名前が劇場やテレビで見る先生に教えてもらえるというのは、やっぱりすごいですよ(笑)・・・・

やっぱり”軽い!”(笑)・・・・・お聞きしたいことは、たとえば記憶に残っている授業とか・・・・・

なんと言っても専科の授業です、半年ずつかけて、字幕と吹替の全篇翻訳をする授業。
あの授業で、翻訳をするということは横の文字を単純に縦にすることではなく、まず作品を理解して、解釈していくことから始まると、初めて理解できました。それまでの授業は、部分的な翻訳ばかりだったので、作品全体を理解してから、翻訳するというスタンスまでには行ってなかったんです。
専科の授業、先生は字幕が桜井先生で吹替が末武先生でした。特に桜井先生にはお世話になって、卒業してからも色々と面倒を見てもらっています。

エッ!そんなことってあるんですか?

はい、あるんです(笑)。初めて翻訳した作品を見てもらいました。

どうやってですか?

始めての作品が放送作品だったんです。ビデオに録画して、僕が翻訳した作品ですってお渡ししたら、色々コメントをいただきました。(注1)

注1 : 話題になっている作品は、藤本さんの作品歴に掲げられている作品「ラスキンズへようこそ」です。

お分かりになっているかどうか・・・・・これはすごいことだと思いますよ。講師の方々皆さん忙しいでしょう、こんな面倒なかなか見る時間がとれないんですよ。

字幕課で翻訳者の方々にお会いしていたので、裏の状態は分かっているつもりです。 ですから・・・・あの時は本当にうれしかった。
桜井先生にはそのほかにもお世話になっているんです、字幕課に入るとき推薦をしていただいたり・・・・・

ということは足を向けて寝られない(笑)・・・・

寝られないです!!(笑)

話を先に進めまして・・・・すると東北新社の日本語版制作部署の字幕課には推薦を受けてアカデミア在学中に入ったわけですね。

先程も言ったように3年目の途中でした、その時に前の会社を辞めました。

お聞きしたいんですが・・・・字幕課に入るということは、ある意味ではプロになるための王道を歩んでいると言ってもいいと思うんです。でも逆に・・・・字幕一色になるわけですので、吹替がある時期出来なくなるでしょう・・・・そこらへんは割り切ったんですか?

割り切れなかったけど、そうなってしまった(笑)・・・・・結局は字幕のほうが好きだったとも言えます。
それに・・・・なんと言ってもホントにいい修行になりました

もう少し詳しく・・・・・

誰もが言うと思うんですけど、いろんな翻訳者の生の原稿が見ることが出来る・・・・良いも悪いも含めて・・・・・一日中それを眺めて暮らしているんですから、否が応でも吸収という面ではこれほどの環境はありません。
演出的な見方というのは今もちゃんと体に浸み込んでいて、字幕を見る上での僕の原点のようなものになっています。

結局何年在籍しました?

3年です。3年くらいで何となく、目途というか・・・・自分の中で区切りがついたんで、フリーの道に進みました。
一言で言えば、とに角早くフリーとして翻訳をしたかった(笑)・・・・・

ハハハハ、でも・・・・字幕課でも翻訳は出来たでしょう?

少しはできたんですけど、でも最終的な目的がフリーとして翻訳をすることですので、一応は区切りをつけて、少しでも早く目的に近づきたかったんです。

字幕課に入った当時、最初はどんな仕事をしていましたか?

最初から演出をやりました。今はQ打ちと演出が分業になっているようで、新人はQ打ちから始めるらしい・・・・でも僕達の時代は初めから演出で、Q打ちも一緒にやっていました。

そうすると・・・・翻訳を始めたのはいつごろからですか?

1年目の終わりか・・・・遅くとも2年目の初めあたりだったと記憶しています。

それはすごく早い・・・・

ラッキーだったんです(笑)。
業界で仕事が多かった時期と重なったんじゃなかったかと記憶しています。昔の長編映画やテレビシリーズが次々とDVDになっていった時でしたので・・・

桜井先生に完成品を見てもらったという、先程のお話、この時期の翻訳ですね?

そうです、字幕課に入って一番最初の翻訳でした。一応一人前になって、元服をしましたというつもりで送ったんです。

普通だと、翻訳をせよと命じた上司に御礼なり、感謝の意を表すものなんでしょうけど、藤本さんはまずは先生にした・・・・普通はそこまでは気がつくものじゃない、と思いますけど(笑)・・・・・

普通はそうなんでしょうけど、僕にとってはあの専科の授業の時お世話になって、桜井先生にはとに角報告をと考えたんです。かえって足を向けて眠れなくなったんですけど(笑)・・・・・

お話をお聞きして、アカデミアに入るまでは色々紆余曲折はあったんでしょうけど、その後は比較的事は順調のように思います、先生にもめぐまれて(笑)・・・・ご自身振り返ってみていかがですか、結構危ない道を歩いて来たと思われますか?

まだ駆け出しなので、結論めいたことは言いたくないし、言えないんですけど・・・・でもここにたどり着けたのは幸せだと思っています。

幸せの中味をもう少し具体的に・・・・・

一言で翻訳ができる、それも映像翻訳ができるっていうことが嬉しい!
思いもしない色々なドラマが見れて、その世界に入り込んでゆける、しかもそれらに字幕をつけられるっていうことが、単純かもしれませんけど嬉しいんです。
先程好きな映画をお聞きになりましたでしょう、あれは子供のころのことで、当然ですけどその後嗜好は相当変わっています。映画好きにありがちなパターンですけど、今は単館系のよく分からない?作品が好きになっています。

例えば?

例えばラース・フォン・トリアーのもの・・・「奇跡の海」などとか、あるいはタルコフスキーとか・・・・
ですから言いたいことは、こんな種類の作品の翻訳ができたら、もし発注があったらどんなに幸せかと・・・・想像するだけでもこの仕事をやって良かったって思うんです。

なるほどよく理解できました、紆余曲折の甲斐があったわけです(笑)。最後の質問になるんですけど、藤本さんはUターンされたとお聞きしました。映像翻訳者で関東以外にお住まいの方はそんなにはいないと思うんです、むしろ珍しい・・・・・
これからの展望も含めて、どうしてそのような決断をされたかお聞かせください。

“決断”といわれると大袈裟で困るんです(笑)、大きな理由はあんまりないんです・・・・・
まず親のことがありました。それと故郷ということでの思い入れかも知れませんけど、長崎は僕にはとってもいい土地です、本当にいい(笑)・・・・・ですから、東京にこのまま住み続けるよりはと考えたんです。
それにネット環境が整った時代でしょう、いまさら東京と地方の有利、不利はないんじゃないでしょうか。実際仕事をしていて不便はあまり感じません。

地方在住の翻訳者があまりいないということでは、いい先例となるように、絶対!頑張っていただきたいと思います。

テクノアカデミアの在校生の中には、地方から新幹線や高速バスを利用して通われている生徒さんが多々おります。彼ら、彼女らを見るにつけ、プロとしてデビューすることが成功の一歩というならば、在学中の努力を是非成功に結びついてほしいものだと、いつも祈らざるを得ません。

それは言うまでもなく、東京、関東近辺在住の映像翻訳者が多い業界にあって、地方の方々にも可能性が拓けることを意味します。藤本さんには是非その良き先例となって欲しい!!インタビューを終えて、そのような願いが一層強くなった次第です。

さあ、東北新社の学校へ!アカデミアへ出かけよう!

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